setokouchanの日記

もうすぐ70の年寄がPHEVで観音巡りにチャレンジ中。コロナ禍と灼熱地獄で家でごろごろ。現在は子供の頃を思い出しながら妄想中。観音巡りは休業中です。ごめんなさい。カテゴリー用の丸数字が50を超えたらなくなった。

⑯PHEV は今日も走る(後編)

 清里の朝どりトウモロコシの誘惑には弱い。Mさんに対応してもらえた。人懐こい性格は三菱のディーラーの共通したものだ。退職されたIさんも同じだった。Mさんと短い時間になってしまったが確認できたことがる。

 自分は愛知や岐阜の三菱のディーラーの急速充電は熱田と一宮の1つのディーラー以外は利用した。三菱の充電器は、古いものばかりだ。なんといってもI-ミーブに対応してつくられたものだ。ということは、アウトランダーやエクリプスクロスをあまり想定していないまま今に至っている。古くなってしまったとともに充電口を施設に近づけないとだめで、狭いところでハンドルを切り替える必要とするデーラーもあることは事実だ。残念ながら篠木店もそんな店舗の一つだ。
 新しいEVを出したこと、アウトランダーが新型になったことからそろそろ急速充電器も新しくしないのか聞いてみた。今の所、計画に無いとのこと。充電器を新しくするには大きな費用が必要で、ディーラーも頭の痛いところらしい。メーカーが計画的に推し進めないとやれない。メーカーにはその気配がない。せめて液晶画面を新しくするぐらいの姿勢がほしい。ディーラは一生懸命に頑張っているのに。メーカーの怠慢としか思えない。
 軽のEVは好調らしい。見に来る客も増えたとのこと。EVを見て普通の軽を購入される客も多いようだ。補助金込みで200万ぐらいはまだ高く感じるのだろう。自分が話している間にも客足は絶えなかった。帰り際にD5でみえた自分より少し若い夫婦連れのお客さんは、アウトランダーを見ていた。ぜひPHEVの走りを楽しんでほしい。
 次は充電料金について聞いてみた。今後上がるのではないかと不安があったからだ。今は1分5.5円で30分充電すると165円で80%充電し、40〜50kmほど走れる。ガソリンと同じ金額でこれだけ走れると得した気持ちになれる。日産みたいにプランが変更されて数年前に値上がりしている。三菱は値上げは全く考えていないようだ。安心した。
 あわせて、充電時間について聞いてみた。電池が空っぽの状態で30分充電する時と、半分ほど残っていて30分充電する時がある。結果的に充電後の車の電池料は変わらない。自分としてはもっと入ってほしかったが・・・。Mさんいわく、充電器側が上限に近づくと勝手にコントロールしてゆっくりと充電するそうだ。電池料が残っている場合の充電は、早めにstopを押して切り上げるほうが得だ。その分時間も有効に使えるとのこと。高出力の日産で10分の充電もありかなと考えている。日産は、1分16.5円だ。三菱の3倍だ。10分充電で同じ値段になる。一回確かめてみようかな。

 5時間ほどのドライブで、新型アウトランダーやエクリプスクロスに出会うことが増えた。三菱も少しづつ景気をとりもどしつつある。

 理工系のことが苦手な自分は、色々な人にしがみつき知恵をもらいながらケチケチ生活を楽しみたい。

 

⑮PHEVは今日も走る(前編)

 三菱の春日井篠木店のIさんが退職されて、Mさんが担当になった。彼から電話があり毎年恒例の清里のトウモロコシが入ったので顔を見せてほしいとのこと。
 最近コロナのこともあり外出をおさえていた。三日前に4回目の(初めての名前を聞いたスパイクバックスなる)ワクチンをうったので、買い物を兼ねて早速出かけた。
 庄内川に沿って愛岐道路を走る。多治見から可児市を抜けて、美濃加茂アピタへ行く。商品券があったので、ネコのエサや砂、爪とぎなどを買い込む。湯の華市場で食材を買う。
 尾張パークウェイ、旧19号線で三菱篠木店へ行った。100km弱途中充電をせず走った。
 パークウェイでは、後ろに白い一世代前の型のクラウンのセダンが、制限速度を守りながらゆっくり走っている。助手席にも人がいる。二人ともマスクをしている。ルームミラーで確認。自分が先頭だ。あなたナーラどうする状態になる。
 19号線の信号で停まる。クラウンを観察、近づいたので見たら、自分よりだいぶ上のじいさんの運転だった。法定速度をしっかり守りながら運転されていた。見習わないといけないと思いつつ、この道で「ないよなー」とグチも出た。ゴールドの免許証は返したくないので、これで良かったんだろう。
 PHEVはエンジンがあるので、電欠を気にしないですむ。いいことだらけだと自分は勝手に思っている。新しく担当になったMさんに会っていろいろと質問。聞きことは常にある。次回につづく。大好きな漫画の最後にいつも書いてあった単語だ。一度使いたかった。
 つづく。なんて夢のあった単語だろう。もう一度、つづく

㊹言霊2

 M先生の一言。お前たち、黒人と結婚できるか?中2の社会科の授業だ。疑問も感じずに黒い人は嫌だと思った。アメリカでキング牧師が差別に反対して行動していた時代だ。社会科の地理でアメリカ合衆国の学習だ。M先生の言葉はずうっと心の中に残っている。黒人の人たちがスポーツ界で活躍する姿を見ているとあの言葉が不思議と思い出される。しかも、髪の毛が薄くなり始めていたM先生の姿まで現れる。
 3年では担任のT先生が社会科の担当だった。自分で考え、意見が言える授業だった気がする。優しい先生で、親指と人差指を撫でながら、「そおかー」と言い一緒に考えてくれた。M先生と対象的な先生だった。
 
 高校は少し自立しようと自分勝手に生きていたのであまり印象がない。大学に進学し、すぐに卒業した高校の校長が自殺したニュースが入ってきた。名古屋のA高校から転勤してきたばかりの方だった。
 70年安保の残り火がまだ自分の大学にも残っていた時だ。当時は、大学だけでなく名古屋の高校でも安保闘争の火が起こり収まった時だった。
 自分は、世の中のことは知らず大学に進学していた。亡くなられた先生は、その高校の紛争の渦中にいた方だったようだ。高校生たちが、言葉を武器にし先生たちに詰め寄っていたんだろう。その先生は自分の母校な校長として転勤してきた。顔も知らない先生だ。
 転勤先の高校が平和すぎて何も起こらないことに疑問を感じたのか、一流校から東三河の二流校に来たことがショックだったのか。理由は分からない。もう覚えている人も話す人もいないだろう。

 黒人と結婚できるかと言われた先生は、トントン拍子に出世されたようだ。反対に、中3の担任のT先生は最後まで平のまま退職され、昨年に亡くなった。自分にとって理想の人物像だった。『タバコ〜を吸いな〜があら』と歌いながら、お盆に帰ってきそうな気がする。

㉘穂の国33観音巡り(3月6日)その1

 東海百観音を巡る中で、穂の国33観音もと思い1月12日に1番札所林広寺に行った。そこでもう頓挫した。なんと札所をやっていないのだ。2番札所に電話で確認すると先代のときにもうやめたとのこと。美濃33観音でもこの数年で3つのお寺さんが入れ替わっている。それでも継続できている。穂の国の観音巡りはこの20年で経営できなくなっていた。生まれ故郷の豊橋で消滅していたのだ。ショックだった。

 写真だけは残そうと決め穂の国観音を回ろうと決めた。 一番札所林光寺に行ったときは、とても冷たい風が吹くで中待つが誰も見えなかった。写真を撮らずに帰っている。

 3月6日に宗教心もないのに回り始めた。

 3番札所報恩寺は、豊川市の小坂井にある。国道1号線宮下北の信号を西(蒲郡方面)に曲がる。曲がりくねった細い旧道を通り、名鉄・JRの踏切を超え、最初の道を右折。右手に報恩寺が見えてくる。
 
穂の国33観音 元3番札所 報恩寺
 穂の国観音巡りの元3番札所 大同山 報恩寺 地蔵菩薩を本尊とした曹洞宗のお寺だ。千手観音が観音巡りの仏様になる。


 穂の国33観音巡りの記事は、内容があまりないかもしれないが記録として残したい。

85 若い方が頑張っている(8月20日に修正)

 我が家ネコたちの獣医さん、我が家を建て替えた時の営業さん、外構をやってくれた業者さん、修行中の若い僧侶、証券会社の営業さん。町内会の役員さん、まだまだいる。彼らを比べると年齢差はあるが、共通点は一生懸命に取り組んでいることだ。

 今回は、サーラ住宅の古市さんを語りたい。三年前、建て替えを決意した。それまでは義父母が建てた家に住んでいた。子どもたちが大きくなり、自分たちで建て替えようと考えた。

 この会社に決めた要素に、営業マンの魅力があった。サーラ住宅に決めるまでは、実を言うとI工務店というところに決めていて、手付金まで払っていた。I工務店の営業マンも丁寧にいろいろと教えてくれた。魅力のあるSさんだった。

 自分は多分クセのある性格なんだろう。展示場にヒマさえあれば通った。愛知や岐阜の展示場はほぼ行ったと思う。家のスタイルを考えるうちにできる限り多く家を見ておこうと思ったからだ。
 長久手のハウジングセンターに2回目訪れたとき、古市さんに出会った。それまでに自分勝手に考えていた家造りの構想について一緒に考えてくれた。わからないことは上司に聞きながら答えようとした。
 I工務店のSさんもベテランで素晴らしい。できないことはできませんと分かりやすく説明してくれた。でもI工務店では、自分の考える家は無理だと思い始めた。Sさんも信用できる人だったが断ってしまった。

 サーラの古市さんは、その時なんとまだ新人だった。いろいろな質問をする自分に対して正直に回答をしてくれた。彼の一生懸命な態度に、自分は惚れてしまった。誠実さが伝わってくる。

 いろいろな展示場を回った。決定づけるたのが豊川の展示場のサーラ住宅だ。豊川で注文を出すはずがないのに、対応してくれた。ネコのための家造りにおもしろいアイデアを出してくれた。
 この方は、家造りに関わることが楽しくてしょうがないようだ。父親が岐阜の大工できっと子どもの頃から家造りを楽しんでいたんだろう。キラキラした目が長久手の古市さんと同じだ。他の展示場のサーラに行っても色々と教えてもらえた。営業マンと直接話すと会社の姿勢がよくわかる。

 サーラ住宅豊橋が本社ということは当然豊橋育ちの自分は知っていた。でも贔屓目はないつもりだ。

 若い方が一生懸命頑張っていることは、年寄りにとっても負けずに頑張ろうという意欲がわく。古市さんは去年から日進展示場に異動した。家造りに関心のある方は、買う買わない関係なしに、日進展示場のサーラ住宅を覗いてほしい。日進の建物は高級路線を狙い建て替えたばかりだ。自分から言うとこの新しい家のコンセプトは中途半端でお勧めはしない。でも、営業マンに会うだけで家造りの夢は膨らむ。買う気はなくても、ぜひ古市さんにあって欲しい。

追記
 本人に許可を得たので、本名に書き直しました。
 

㊶野外シアター

 広場やお宮の屋外で映写会が行われ、毎年楽しみにしていた。陸軍墓地の横の広場が会場になることが多かった。丸太で組んだ木組みに白い布を張り、スクリーンにしていた。
 内容はあまり覚えがない。多分鞍馬天狗とか忠臣蔵、伴淳の兵隊物だったんだろう。花菱あちゃことかエノケンなんて名前もこの頃覚えた。
 学校の講堂でも1年に1回映写会があった。暑くてもうちわで風を起こしながら、また蚊を追いやりながら、圧倒的に広い画面の映画を、屋外で楽しんだ。
 お金は払った覚えがない。きっと闇にまみれてこっそり入ったんだろう。良い子は9時には寝るように言われていたので9時前には終わったいたと思う。


 映画会以外に盆踊りなどがあったが行った覚えがない。こうした催しなどにつきものなのが屋台だ。紅ショウガののったお好み焼きだ。薄く薄くのばしたうどん粉に薄いチクワ、キャベツが少々天かすねぎが入ったネギ焼きだった。新聞紙にくるんだお好み焼き、うらやましかった。1枚が20円、半分が10円だった。お金がないので、臭いだけ楽しんだ。

 尾張に来て給料を貰える身になり、食べたお好み焼きは関西風の分厚い軟らかなお好み焼きだった。しかも高かった。
 尾張の駄菓子屋には、タマセンなるものがある。これが憧れの薄焼きかと思っていたが、全くちがうものだった。煎餅の間に卵を挟んで焼いたお菓子だった。

 今でも一宮に薄焼きのお好み焼きをつくっている駄菓子屋さんがあると、ニュースで流していた。一宮の奥町にある大野屋さんだ。一度行こうと思っているがなかなか行けない。

⑱ラムが動かない

 朝からラムの動きがおかしい。食べが悪い。ぐったりとしている。急いで獣医さんに予約した。ノアくんのいつも行く獣医さんだ。血液検査もしたが、結果は歯肉炎だった。注射をうって効果を見ましょうにかわいそうに硬い餌が食べられなかったわけだ。チュールチュールニャンチュールを与えるとうれしそうに食べ、次を要求する。これが主食に成るとノアくんの二の舞いだ。やっと尿路対策のエサに慣れた。ラムにこっそりとチュールを与えると匂いを嗅ぎつけノアが登場する。
 ノアくんは尿路対応のエサに猫用減塩鰹節をかけて食べている。きっとわがままなノアにとっては、病院食だろう。それでもここまで元気になるとは獣医さんも予想してなかっただろう。しかし、先生の真剣な診察のおかげだ。ぴったりノアには先生の診療があっていた。感謝あるのみだ。今まで獣医さんの名前を出さずにいたが、真剣に対応してくれる獣医さんをもっと知ってもらいたいこともあり、勝手に名前を出してしまう。瀬戸市の『陶のまち動物病院』だ。ただですら暇なしに仕事をしているのに宣伝してしまうことがいいのか悪いのかわからない。>

陶のまち動物病院です