setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

今日は満月

もう、数日月を見ていない。今日も会えそうもない。4月24日は満月だ。ピンクムーンだそうだ。ピンクの花が咲く頃ということでこの名前がついた。月ピンク色をしているわけではなさそうだ。 朝から雨が降り続き、瀬戸の今、やんではいるが雲が低く空を覆って…

瀬戸第一尋常小学校 その4(第三小学校誕生②) 

祖母懐小学校の60周年記念誌には、さらに次の手記が載っていた。第一尋常小学校とは今の瀬戸市立陶原小学校だ。第二が深川小学校で第三は祖母懐小学校。 《対立し合う6年生》 ずっと前より、第一尋常高等小学校と第二尋常小学校とは、常に仲が悪かったとい…

瀬戸第一尋常小学校 その4(第三小学校誕生①)

第一尋常小学校は、次第に人数が増え、第一から第二(深川小)、そして第三(祖母懐小)に分かれていく。第二の深川小ができたときは、一里塚川の南北で校区が分かれた。大正5年に第一と第二の間の雨池に第三の祖母懐小ができた。この第三尋常小学校に全学…

瀬戸第一尋常小学校(陶原小学校)その3

陶原小学校の校舎の位置は銀杏木にあったと『その2』で書いてしまったが、正しくないようだ。 明治6年に宝泉寺で陶原学校として生まれ、明治25年に瀬戸尋常小学校、明治36年に瀬戸第一尋常小学校、明治42年に瀬戸尋常高等小学校、昭和14年に陶原尋常高等小…

瀬戸第一尋常小学校(陶原小学校)その2(訂正あり)

效範公民館に郷土史研究家のA氏の口から、思いもよらぬ言葉が出た。 效範小学校の話から瀬戸の第一尋常小学校(陶原小学校)のあった場所についてだ。最初は洞の宝泉寺の中にできた。その後瀬戸駅の西瀬戸川沿い(今の愛陶工)の位置に移動、大正時代の末に…

濃尾地震 根尾谷断層その3

四国でM6.6の地震が起こったのは17日の深夜だ。自分は次の日の早朝に知った。その前日(16日)に濃尾地震について調べに根尾谷断層観察館に行っていて、濃尾地震の記事を書き始めたばかりだった。 自分なりに耐震化した家造りや太陽光発電、PHEVなど対策は考…

瀬戸第一尋常小学校(陶原小学校)その1

今村の歴史を学びに效範公民館に。郷土史に関心のある方ばかり集まった。瀬戸市立效範小学校の話題になった。明治5年の学制発布でこの地方でも学校を作ることになる。今村には效範学校が明治6年に慶昌院につくられる。今の效範小学校だ。效範小学校が生まれ…

濃尾地震 根尾谷断層 その2

明治24年におきた濃尾地震は瀬戸でも大きな被害を出した。瀬戸から震源地である根尾谷は80km離れている。M8.0の直下型の地震だ。先日の1月1日におきた能登の地震、日本海側が発生源の地震だったが、尾張旭の親戚からの帰り道、アラームが鳴り、しばらくて信…

濃尾地震 根尾谷断層

2016年4月14日に起きた熊本地震、被害が大きかったのが16日の揺れだった。熊本城が崩れたのが印象的だった。 去年、三河地震の断層を見に、震源地である蒲郡に車を走らせた。蒲郡・西尾・安城などでの被害が大きかった地震だ。戦争末期の1945年1月13日に起き…

鯉のぼり その3

「もし、この侍を助けたら、あとで私たちが敵の侍にどんな仕返しをされるかわからない」と思い、「食べるようなものは、何もありゃせん。」と、どなり返しました。すると、侍は刀をぬいて家の中へ入ろうとしたので、「出ていけっ。おーい、ぬすっとだあ。ぬ…

PHEV、デリカミニと

デリ丸、金メダルを首に下げて春日井の篠木店で待っていた。そろそろワゴンRの後の車を考えなければと考えていたら、デリカミニは人気になり納車に時間がかかるようになっていた。 先日、豊橋の向山の三菱で中古が306万で販売されていた。オプション満載だっ…

鯉のぼりその2

男社会、侍精神が前面に出ている端午の節句。昔は男は男でも長男が一番とされた。瀬戸も昔から男社会だったんだろう。飾りは派手な地域だと思う。ところが瀬戸の一部の地域には鯉のぼりをあげない。深川小学校出身の知り合いも確かに見たことがないと言って…

鯉のぼりその1

桜が終わると、新緑が始まる。そしてゴールデンウィークだ。4月29日は昔は天皇誕生日、今は昭和の日。5月3日が憲法記念日、5日がこどもの日。間の4日は昔は休みではなかったが連休を作ろうと休みになった。5月1日はメーデーだが休日にはならなかった。現役の…

藤井さんが勝ちました。

将棋の指し方も分からぬまま見ていた。ただ分かったこと勝ったぞということ。

雨池と三番目の祖母懐小学校

親子地蔵に関係する伝説の最後の舞台は雨池だった。雨池は祖母懐の地にあった。雨池の横の中池が埋められて、大正5年に瀬戸の第3番目の小学校として瀬戸町立祖母懐小学校が開校した。 1番目は明治6年にできた東春日井郡瀬戸第一尋常小学校(陶原小学校)だ。…

昭和も令和も働きなさい そしてお金を納めなさい

大学4年で就活で大阪に行った。試験を受けに行ったのだ。梅田だったのか大阪なのか分からない。大阪に行ったのは今から50年以上前のことだ。 新幹線から降りて、人生(といってもその頃まだ20年)一番ビックリしたのが、大阪の人は歩くのが速いのだ。エイト…

瀬戸のお地蔵様(親子地蔵②)

バカ道路に安置されている3体のお地蔵様、親子地蔵だ。磁祖加藤民吉の妻と幼い子供が、民吉に会わせてもらえず最後は雪の中、雨池に身を沈める悲話だ。二人の魂を鎮めるためにこの地蔵は建てられたという。しかし前回も書いたがこの事実はなかった。この地蔵…

瀬戸のお地蔵様(親子地蔵①)

西本町から東本町に向かう途中に不思議な広い道がある。通称『バカ道路』だ。和菓子屋の宝屋さんから北の深川神社(宮前)に向かう広い道だ。今は道路の中に駐車場ができて不思議さは感じないが、自分が来た頃はただのだだ広い道だった。戦争の末期に延焼を…

芸術家と芸術家

瀬戸市の文化センターで手嶋譲二氏の「懐かしき昭和の瀬戸」という写真展が開かれている。昭和30年第40年代の瀬戸がテーマだ。版画家の水野ア一さんと町内の御婦人方を誘い早速出かけた。 会場に入ってまず感じたのは、どの写真もきれいなのだ。手嶋氏は若い…

藤四郎まつり

陶祖祭が、20・21日に行われる。瀬戸で就職してすぐ盛大な祭りがあった。何のお祭りなのとわけわからないままむかえた。その頃は、当然、土曜日も仕事だった。夕方帰宅すると街の中が大騒ぎしていた。 新人の頃はバカ道路近くに住んでいた。仕事になれず疲れ…

公園で花見を

今日は、木曜日の町内での定例会。先輩方と1週間に1回の『元気だよ』と顔合わせをする。今回は花見の真似事を計画。天気が不安だったが、朝には晴れたいた。 午前中に下見をしたら花は三〜四分、五分にはまだだろう。少し騒げば花はもっと開くだろうと騒いだ…

キロバイト知らないでしょう

久しぶりにパソコン屋に行った。昔みたいに大須ではない。我が家の近くには昔コムロード今はアプライドというパソコン屋がある。しばらく前まではグッドウィルもあったが数年で閉店した。どちらの店名も懐かしい。 半世紀近く前にマイコンから始めて、DOSな…

PHEV、トライトンと会う

久しぶりに豊橋へ。福井酒造で酒を買う。今度の木曜日の花見会のためだ。ワンカップの市電のシールが変わった。新しい市電が増えたこともあるのだろう。 充電は向山の三菱で。駐車場には、今話題のトライトンが置いてあった。長さも幅もそしてタイヤもデカい…

昭和の歓送迎会

瀬戸の町中を歩いていて、瀬戸蔵の東側に魚清という料亭があったことを思い出した。自分が新人として会社に入ったときに飲み会で最初に行ったのが魚清での歓送迎会だった。歓送迎会は移動する人、退職される人が会の主賓になる。このときは新人は静かに飲み…

今日も春便り

猫と散歩中、眼の前の電柱の上でさえずっている鳥がいた。美しい鳴き声で魅了する。イソヒヨドリだ。ヒヨドリと名前がついてはいるがヒヨドリの仲間ではない。本来は海岸で生活している鳥だが、近年都会でも過ごすようになった。数年前から我が家の前の倉庫…

春ですね

2日前の木曜日、川西公園の桜が2輪だけ咲いていた。夕方から金曜日の午前中まで大雨と風、午後からは一気に晴れ気温が上がった。4時過ぎに見に行ったら昨日は10輪以上咲いているのを確認した。3月29日が川西公園の開花宣言です。 木曜日の川西公園ではツバメ…

瀬戸市 南新谷のメインストリート(西本町)

瀬戸の銭湯、数年前に廃業された日本鉱泉前から路地に入り、西本町の通り(今の国道155号線)に出る。右(東)に向かう道が地蔵坂だという。路地から出てきた三叉路の北側に地蔵堂があった。明治になって栄国寺ができ延命地蔵さんと大切にされていた。昭和16…

ギャンブル依存症

大谷さんの問題、何が正しいのかわからない。一平さんのギャンブル依存症が原因とされる。 自分は昭和27年生まれの71歳。昔から『打つ、飲む、買う』の話を聞く。順番が違うかもしれないが、『打つ』が博打である。博打の中にはチンチロリンもあれば麻雀、ポ…

ケリ?

昨日のことだ。猫のエサを買いに守山区のCAINZに行った。雨が降っていたので屋上の駐車場へ。 あまり見かけない鳥が立って動かない。窓を開けてスマホで撮った。鳩よりスマートだが背が高い。雨が降る中なんとなく元気がない。帰ってから、Googleレンズで調…

瀬戸市 南新谷のメインストリート(銀杏木町~西本町の辻へ)

近くには何度も来てはいるものの、この道は一度も通ったことがない。道が狭いため車で入り込まない。歩きだったので周りをのんびりと見ながら東へ進む。 昔ながらの古い商店だった長屋が多くみられる。カーブする道沿いには京染・呉服『久屋』さんが土日だけ…