毎日夕食時には酒を飲む。安い酒でも贅沢な気分になる。息子たちが働いてくれているからだ。だが、彼らは給与もボーナスも、働きの割に考えられないほど低いと思う。
働けるだけマシだとも言う人もいる。今は令和、自分たちの時代の昭和とは違っている。時代が違っているから当然だとも考えられる。果たしてそれでいいのだろうか?
まじめに働いて、少しでもお金を貯めることが、いけないことになってしまっているようだ。
『何も知らなくてもいいんです。』という投資向けのCMが流れる。『間違っていてもいいんです。』というカードローンの過払い金を訴える弁護士がいる。『愛はあるんかい?』といいながら借金を作らせる金融会社。『会社に不満があったらさっさとやめて転職しましょう。』とすすめる転職サイト。などなど、昭和生まれから考えたらおかしいと思えることが当たり前になってきた。
何かが壊れ始めていると思うのは自分だけかなと、ネットを見ると同じように考えている人が結構多い。国民は、幸せという方向性からズレ始めている気がする。だからどうしたらいいの?となると答えられない。
いい加減な自分でも、国会中継を見ることもある。日本の最高決定機関であるはずの国会が、まるで小学校の学級会である。ストーリーが決まっていて話が進んでいく。与野党ともに所属議員が党の考えと違う判断したら、処分が待っている。
もうこれでは話し合いではない、もう民主主義国家の体をなしてない。なぜなら、話し合いはそれを通じて深く考えるためだから、考えが変わっていくのが当たり前。そうでなければ話し合うだけ無駄ではないか。税金の無駄遣いだ。
昭和生まれの自分でも思う。国会はまだまだ昭和なんだと。接待してお金を握らせて、一部の人達の考えで国政が決まっていく。何ら変わっていない。いろいろな不祥事を起こしても責任を取らない政治家がいても問題にならない。
令和の時代の新しい政治はできるのか。
猫の散歩をしながら、たまには考えることがある。