setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

㊳テレビ

 小学校2年生のとき我が家にもテレビが入ってきた。それまでは、隣のN子ちゃんちに、日曜日の朝9時頃になると見せてもらいに行っていた。赤胴鈴之助まぼろし探偵だったと思う。
 アメリカドラマが多かったのもこの頃だ。ララミー牧場、ライフルマンなどの西部劇や名犬ラッシーが人気だった。スーパーマンもカッコよかった。風呂敷を首でしばりマントにした。
 テレビで鉄腕アトムの実写版が放映された。スバル360のコンパーチブル(ただ屋根を切り落としただけ)が出ていたのはこの番組だと思う。思い返してもこの車を番組に登場させた場面が浮かばないし、登場させる意味がない。違う番組なのか?
 カブに乗って走る月光仮面や少年ジェットなど、荒れた道を砂煙を立ててさっそうと行く姿に憧れた。当時、道は舗装されていなく、すぐに穴が掘れる。家庭で出たアサリやシジミなどの貝殻はこの穴に捨てる。水たまりができないようにする生活の知恵だ。雨の日に車が通ろうものなら、泥水をまともに浴びることになる。今だとポイ捨て条例違反で罰金ものだ。舗装されていたのは国道一号線と電車通りだけだった。
 おてもんや三度笠は思い出せるが、オロナインの宣伝に出ていた有名な女性の名前が出てこない。タイムトンネルで過去に行ければ面白いのに。

 我が家に初代のテレビが来てから6年後、姉が松下電器に勤めだした。その会社で研修用に作られていた持ち運びができるスタイリッシュな小型テレビを安く購入してきた。真空管からトランジスタに変わり始めたのである。そういえば、小学校6年のとき校舎が新しくなり放送室もできた。一番すごいのはすべての教室にカラーテレビが入ったことだ。東京オリンピックを先生も一緒に見ていた。学校へ行くことが楽しくてしょうがなかった。