setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

㊺バイト

 昔は子どももよく働いた。アルバイトだ。兄貴の代は鉄くずなどを集めたり、豊橋は市電が走っていて、近くの電車の車庫に行き、電車の掃除をした。やがて市電の車庫はバスの車庫になる。ここで面白いアルバイトをした。夜中の10時過ぎにこの車庫に行く。このバスで豊川にあるタイヤ製造工場?に行き、遅番の帰る従業員を載せ、東栄町方面に運ぶ。と言っても自分は中学生だ。運転手の助手だ。ただ運転席の横のガイドさんが座る席にいればいい。当時の国道151号線は狭かった。一番前の席でヘッドライトに浮かぶ真夜中の山の景色を楽しんでいた。当時はおおらかな時代だった。結構実入りはあった。帰りは、運転手との話が楽しかった。
 中学を卒業して高校に入学するまでのひと月は、友人が見つけたダスキンのバイトだ。ダスキンといえば今は有名だが、当時は日本に入ってきたばかりだ。その代理店が、区域を決めて一軒一軒家を訪ね、モニター利用をすすめる仕事だ。ダスキンって、黄色の雑巾だ。あの頃は画期的な商品だった。
 
 高校時代のバイトは、中学校の宿直だ。宿直室に夜一人で泊まる。学校の怪談が有名になるのはもっと後の時代。真夜中に学校の階段を上り下りする。一度も理科室の骸骨には会えなかった。
 友人の中にはこっそり軽自動車の限定免許を取りN360に乗り始めた奴もいた。バイクは250か125ccに乗っていたやつもいて、高校の近くの下宿にとめていた。
 そんな中で自分は自転車が面白かった。アルバイトをすると金が貯まる。それで買ったのは、まずミヤタの5段変速付きのスポーツタイプの自転車だ。
 大学生のころは、ブリヂストンのロードマンという名車を買った。4万9800円だった気がする。36万円でパブリカが買えると宣伝していたのは少し前。大卒の初任給が10万円を超えるのはまだ年月がかかった。
 ロードマンはドロップハンドルの自転車のスーパーカーだ。前後にギヤがあり2☓5の10段変速機つきだ。当時のスポーツカーでも5速の変速機が出始めたばかりだ。
 アルバイトをしていてもこれが精一杯。それでも楽しかった。自分の足で浜名湖を一周したり、渥美半島方面を軽快に飛ばしていた。少し前に開通した多米トンネルから降りてくる急カーブが面白かった。自動車はあまり走っていなかった。

 田中角栄ロッキード事件で失脚する。高校時代に彼は日本列島改造論を発表し、給料が上がり始め生活感が変わってきた気がする。無理やり経済を豊かにして素晴らしい政治家だと思う反面、その影で公害が出てきた時代だ。

 この頃を再現したいのが、今の政治家たちじゃないのか。当時のトップは池田勇人佐藤栄作(岸さんの弟)、角福の対立があり角さんが勝つ。角さんが自滅して福さんが総理になる。まだ顔は覚えている。でもあまりいい印象は残っていない。
 今は孫の世代が政治家になっている。おじいちゃんたちの栄光の時代を見て育った。過去にいつまでもあこがれていてはだめだ。そんな時代はくるわけがない。新資本主義って?いったい何だ。いまだに中身が見えてこない。名前だけはすごい!