長々と書いてしまってごめんなさい。
急激なホルモンバランスが崩れたのか、術後の体調がおかしくなった。総合病院の別の科の神経科に相談に行く。睡眠促進剤をくれた。それでも眠れない日が続くため、思い切って全く違う生活をしようと考え、渥美半島に住む姉に相談し、海で遊ぼう決めた。次の日から渥美半島の表浜の赤羽根港で朝から晩まで堤防で釣りをする。4月の太陽光の元で過ごす。夜は食べて酒を飲んで寝る。渥美の姉の家は表浜の海岸のすぐ上だ。波の音がよく聞こえる。聞いているうちに眠れるようになる。4・5日そんな生活をして仕事復帰直前に帰る。
体を動かすこと、日光にあたること、特に朝日が良かったように思う。体調が悪ければ思い切って休むこと、そして環境を変えてしまうことだ。体のバランスとリズムを整えることがなんとかできたんだと思う。
自分は10年ごとに身体は大きく変わる気がする。その10年を乗り越えると次の10年となると考えている。その10年が仕事をしなくなったころだ。
65歳ごろ仕事を辞めた。町内関係が少しあるだけ。町内の仕事を始めたら自治会の会長や役員に疑問を感じてしまった。昭和も昭和、それもバブル崩壊前の上下関係の世界、年齢が高いものが偉いのだの世界が残っていた。バワハラなんてものじゃない。
話し合いができず常に上が決めたことを下は従うのが当たり前。女性はお茶汲みをする。
いかん興奮がよみがえってくる。細かいことは別の機会に書く。今回はこんなことではない。何度も喧嘩状態になり血圧が上がりっぱなしになった。働いているときは、生活にリズムがあった。仕事をしなくなることは、自分でリズムを作らないといけない。すっかりリズムを失ってしまった。
何もしなくなると、老化したことが気になり始める。目がショボショボに。腰や肩が痛い。忘れることが増える。当然いろいろできないことに気づき愕然ととする。何もすることがないので悪いことばかり考えがちとなる。しぜんとグチが出るが誰も聞いてくれない。悪循環なんだろう。
やることがなくなってしばらくは自治会とのやりとりをきっかけに血圧が上がり医者へ。精神的にも不安定に。
こうした体や心の変調が、男の更年期障害と呼ばれるものだろうと勝手に解釈している。
働いているうちもあったんだろうが、忙しさの中で気づきにくかったんだろう。そのうち『命の父』なるものもできるんだろう。自分が年寄りを宣言できた時、気が楽になった気がする。ネコと一緒に日向ぼっこ、これが丁度良い。でも時々、ドライブもしたい。
長々と失礼しました。