setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

56. 満洲国の裏に

 今日は終戦記念日。太平洋戦争の開始前に、すでに戦争を始めていた。日中戦争だ。日本の傀儡国家である満洲国は、関東軍や朝鮮にいた陸軍とともに暗躍していた。

 岸さんといえば戦時中東條内閣のもとで商工大臣や国務大臣をした人だ。そして満洲総務庁次長を勤めていた。満洲国や朝鮮のことを知り抜いていた。
 彼はA級戦犯になりながら復活する。アメリカの体制が、日本を平和国家にするより、反共の防衛線にするために、A級戦犯の岸さんを釈放した。彼は、総理になっていく。アメリカにはなくてはならない駒だった。
 自分が同じ立場だったら、面白い手だ。当時の南朝鮮は、立場が大変だったろう。
 日本と協力して勝共連合ができた。岸さんと協力しないとできない時代だ。

 日本は勝共連合を利用したつもりが最終的に利用されていた。

 父親の足跡を追ううちに、安倍さんの暗殺事件がおこり、勝共連合の問題が表面化した。

 父親が満州で必死に生きていた時に、植民地政策が強行され、多くの人々がどんどんと開拓民としてソ連との国境へ入った。日中戦争から第二次世界大戦へと拡大。アメリカとしては防共ラインのはずだった日本が、軍を南に進めた。
さらに敗戦濃厚になると、関東軍まで民間人を見捨てて、逃げ帰った。満蒙開拓団は現地に残され、捨てられた。

 北から入ってくるソ連軍や北朝鮮や中国軍と連合国が戦いをしている中を、列車で、徒歩で、半島の南端の釜山港まで1年以上かけてたどり着いた。30万人近くの人が満洲に渡り、8万人もの方が死んだ。

 その時代、自分の父親は満鉄の機関手、幼なじみのN君の父親は、避難民を助けながら活躍していた。戦争は8月15日で終わるが、帰国できるまでの数年間が本当の戦争だった人たちがいたことは事実だ。