この時代、マイコンと呼ばれた国産のマシンは、日立やNECからも出ていた。自分たちで組み立てる人向けのコンピュータだったと思う。
SHARPのMZ80-K2Eは、K2から進歩して完成品として売り始めたこと。ここが大きく違った。面倒なことはやりたくない、この一点が境目。物理は大の苦手だった。
K2Eは、記憶媒体としてカセットテープを使っていた。始めるときは、ベーシック言語をカセットテープから読み込むのだ。ラジカセ時代の人間として自分にはピッタリ。ベーシック言語を読み込んでも、なにもできない。命令文を書かなければ、ただの箱になる。
I/Oという専門誌を買って、ゲームの命令語をそのまま書き込む。何も分からずただ打ち込む。打ち終わると、テープに記録。そしていよいよプレイボタンを。でも始まらない。バグ(入力ミス)だらけなのだ。画面の文字と雑誌の文字を見比べながら、一つずつ、バグを消す。3日で入力したものを、1週間以上かけて直していく。
やっと動くようになると、遊べるようになるのだが、その頃には新たな敵が現れる。ゲーム機だ。似たような複雑な動きをさせようとすると、もっと長い命令文を入れないといけない。少しは頑張ったときもあったが、自分は軟弱な性格だ。結局すぐ諦めてしまった。時間のかかる割に満足感がない。ゲーム用のカセットテープも発売され始めた。その後ファミコンなるものも登場。
軟弱な性格では使うことはできない。その後もコンピュータを買い替えはするが、もっぱらソフトに頼っている。