setokouchanの日記

ついに70、年寄がPHEVで観音巡りにチャレンジ中。コロナ禍で家でごろごろが多いが。現在は子供の頃を思い出しながら妄想したり観音巡りの記事を充実しようとそれなりに奮闘中。

75. 時の流れ

 就職したこの土地は、川沿いの谷あいに発展した町だ。市になったのは県で5番目、結構裕福な町だった。仕事がなければS町に行けと言われた時代もある。
 陶磁器で有名だといえば誰でもわかると思っていたが、もう知らない人のほうが多い。瀬戸物って何?と聞いて焼き物と答えても、瀬戸で作られた焼物とは思っていない。確かに名古屋から東は焼き物の代名詞だ。でも元は、瀬戸で作られた焼き物だ。瀬戸は瀬戸内海の瀬戸と思っている人も少なくない。

 せともの祭の開催まで、もうひと月もない。でもせともの祭と言いながら最近は美濃の焼き物が多く売られている。こちらに来て40数年たつ。その頃は100mもの長さのトンネル窯を持つ会社がいくつもあった。知らぬうちにそこはマンションや建売の絶好の土地になった。瀬戸駅前近くの商店街はシャッター街となっている。

 景気の良かったはずのこの市は、30年ほどですっかり衰えた。自分と同じように年を取ったんだろう。大手の瀬戸物工場はなくなった。町工場(こうば)は、従業員を解雇、家族だけで経営。借金を返すだけの自転車操業の世界になった。
 多治見や土岐はまだ頑張っている。瀬戸はどこで間違えたのだろう。行政にも瀬戸物産業にてこ入れをしようという姿勢が感じられない。

 良すぎた時代を楽しみすぎた。宵越しの金は持たぬのが、瀬戸っ子だった。アリにはなりたくなかった。キリギリスだった瀬戸。加藤四郎(陶祖)、加藤民吉(磁祖)に続く新しい◯祖の登場を期待したい。教祖であってはならないが。

 将棋の藤井君、もう君づけはいけない。藤井さんを大事にしないといけない。瀬戸の誇りである。彼が瀬戸で生まれ育ったことが自慢にできる瀬戸でありたい。名古屋や県と協力して、東京や大阪に負けない立派な将棋会館を作ってほしい。名古屋は日本の中間点だ。絶好の立地場所だ。名古屋でなくてもいい、モリコロパークという手もある。