オマケ付きグリコに、プラスチックコインが付いていたはずだと思っていた。いろいろな国のお金を模したコインだったはずだが、ネットで調べても全く出てこない。自分の妄想かも。
コインは、学校の机の上で、コイン落としとして少年たちのバトルの楽しみになっていた。おはじきと同じように、机の四隅や、6ヶ所からソロリソロリと始められる。チャンスと思うと、指で弾く。狙われた相手は、落とされるとそれでゲームセット。狙われた相手に、コインを取られる。最後まで残った子はいくつかのコインをゲットできるわけだ。
おはじきはそんなに高いものではなかったが、コインはちがう。取られると悔しい。何のおまけだったんだろう。グリコのおまけで調べても出てこない。それなりに金を出している。パチンコや麻雀等、金がかかると欲が働く情けない自分という存在は、この時に気付いていれば、もう少しまともな人間になれていたんだろう。
小林さんという駄菓子屋が近所に。甘納豆という駄菓子があった。台紙に張り付いた赤胴鈴之助や鞍馬天狗の絵の甘納豆の袋を、引きちぎる。五円で買えた。中に五円から二十円の書かれた紙片が入っている。袋の作り方やデザインなど色々考え、もしかするとと思いながら引きちぎる。ほとんど、『はずれ』の文字が現れる。十円という文字があると、更にもしかしてと思いながら引いてしまう。意思が弱いのは子どもの頃から。
甘納豆は、たまると食べるのが大変だった。これで甘党にはなれなかったんだろう。あの甘い体験は強烈だった。今考えると、いい経験をしたのだ。親父も兄貴も甘党だ。甘やかされて育った自分は、甘党にはならず甘いのが苦手になった。酒が飲める世界に飛び込めたのだ。
今度の土曜日は、満月だ。名月で、酒が飲める酒が飲める、酒が飲めるぞ~。
そうそう一つ思い出したことがある。駄菓子の中に、糸のついたイチゴ味やレモン味の飴があった。たしか5円だ。いつも小さい飴しか取れなかった。大きくなるにつれて悪知恵が働くようになる。割烹着を着た小林のおばちゃんが他の子の相手をしている間に、こっそり大きな飴の方を引っ張る。すると、糸が動く。「おばちゃん、決めたよ。」と言って、糸を引っ張ると大きな飴が吊れる。「やったぁおばちゃん。」と言って喜ぶ。そんなことは気づかないおばちゃんのはずがない。そんなことも知らない自分は、これだけで満足する。
ゴメン肝心なことは、コインが分からないことだ。グリコのおまけではなかった。何だったんだろう。