自分は品野の支店にいた頃、本当に多くの方々にお世話になった。中品野の窯を訪ねながら、当時お世話になった方のお宅へ顔を出した。焼き物の工房を営まれていたが、工場の解体をされていた。ということは廃業されたのか?そこまでは聞けなかった。子どもたちはみんな東京に出て頑張っているとのこと。長女が一流テレビ局の社員になり、バリバリに活躍しているとのこと。ドラマの制作陣の中に名前が乗るようになったと、嬉しそうに語ってくれた。
お父さん本人も昔からいろいろなことを考えて見えた。どうしたらより良い製品を作れるか常に考えていた。大学と連携して研究もされていた。しかし、斜陽化した焼き物づくりは止めることができなかったのだろう。行政もいつのまにか焼き物づくりに積極的ではなくなった。大手の焼き物工場はことごとく倒産した。残っているのは、家族経営がほとんどだ。
ネコなし皿は、ここ中品野で始められた。
大正時代から昭和時代に品野地区で生産されていた型成形による主に長角皿のこと。夜も寝ず作られていたことから、こう呼ばれるようになった。
とsetopediaにはある。中品野でよく聞いた言葉は、そろそろ寝ようと隣の工場を見るとまだ仕事をしている。それじゃあということでもう少し働こうと頑張る。互いに競い合ううち朝を迎えてしまう。真面目にコツコツと仕事をしてきたが商売は下手だった。
石炭窯の前、まだ薪で瀬戸物を焼いている。
工房めぐりの下見をしながら、気づいたことは、がんばっている工房のご主人は若い方が多かった。中には、平日には仕事場は見ないでほしいと、写真は撮ってはだめと言われた方もあった。理由は簡単だ、新しいことを色々と試しながら、作品作りをしているからだ。新しい焼き物づくりに欲を持ちながらチャレンジしている若者たちがまだまだ品野にいる。このことを知ることができただけでも大きな収穫だった。
行政はチャレンジしている若者をもっとバックアップしてほしい。