70になった自分に、先年末、7つ上の姉から電話もらった。兄が心臓の手術をして気が気ではなかったんだろう。姉の旦那も数年前に心臓の手術をした。昭和20年の生まれの姉には、24年と27年生まれの弟が心配でたまらないのだ。
自分たちの両親は大陸に渡り、姉は満州で終戦になった年に生まれた。終戦で母親は姉という乳飲み子を抱えて満州から朝鮮北部を通って釜山港から博多へ帰ってきた。父親は満鉄で最後まで人々を運び続け別々に帰ってきている。両親も姉も戦後の大変な時代を幼少期に過ごしたのだ。自分は物心つく頃は池田勇人の国家倍増計画の元で経済が一気に上がった時代だ。バイトをすればするほどお金が手に入り始めた。自分は戦後の辛い時代を殆ど知らずに今まで来た。
弟(自分の兄)が大手術をすることになり、さらに旦那の弟(義弟)が大病になっていたことが、心配の種になったいた。本宮山のお宮(上社)に願をかけ、運転に自信がないから本宮山ではなく尾張一宮の砥鹿神社(下社)にお礼に行ったようだ。長子である姉は、いつも二人の弟を思いながら生きているのだ。頭が下がる。
姉の好きだったのは、愛知県一宮市出身の舟木一夫だった。高校3年生や修学旅行などいろいろな名曲を残している。何故か彼の曲を聞くと姉の顔が頭の中に出てくる。一緒に記憶されているのだ。ユーチューブで懐かしいメロディを聞いていると「あか〜い〜ゆうひが〜・・・」が必ず出てくる。自分がカラオケで歌える少ない歌の1つだ。