setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言219 年寄りに優しい豊橋の市電③

 大学時代は、1年間は公共交通機関で通学した。東田坂上の電停から市電に乗る。豊橋駅から名鉄電車で名古屋方面へ。パノラマカーは当時最新の電車で運転席は先頭車両の上にあり、先頭車両は進行方向が、後尾車両は、過ぎ去る光景が見えるので楽しかった。すれ違うときはなかなか迫力があった。速度がわかるように速度計がついていて時速110kmまで出ていた。

 豊橋から始発に乗ってもホームは人でいっぱいだった。先頭車両に乗るために列に並んでも、できる限り次発の電車に乗った。座れないことも多く、乗ったら最後めちゃくちゃ混んでいるため、体が傾いていたらそのままの態勢で次の駅まで。特急だったため20分間我慢して次の名鉄岡崎駅に。

 通勤時間帯でみんな必死だ。立ったまま寝ている人も多い。昭和の時代は、『24時間戦えますか』『亭主元気で留守がいい』など必死で働くことが当たり前。

 そんな中、市電はユッタリと走っていた。猛烈サラリーマンも、帰宅時、市電に乗って心をリセットしていたんだろう。

 リニアで東京まで1時間、どれだけ余分に働かせるのか?まだ、猛烈社会でないといけないのか。