setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言221 銭湯が多かった瀬戸市街

 瀬戸へ行ってあるき回った。瀬戸へ行く?って変な言葉だ。昔から瀬戸というと深川神社を中心とした範囲、昔の瀬戸町、瀬戸村だ。周辺の村々の人は瀬戸へ行くという。

 これは蛭子町にあった蛭子湯だ。一里塚川の蛭子橋近くにある。今も煙突や3階建ての建物はしっかりしている。

 瀬戸へ行けば仕事があることを『瀬戸へ行かんでどこへ行く』と言われた大正・昭和の時代は全国から瀬戸に働きに来た。瀬戸物を作る職人であふれていた。すずめが小さなカラスと揶揄されたりや瀬戸川は真っ白だったのが当たり前の時代だ。洗濯物は外に干しておくとススで真っ黒になるなど、 土や石炭窯のススはすごかったようだ。それでも作れば作っただけ売れた。月2回の給料日になると宮前は飲み食いのために客でいっぱいになる職人の町でもあった。

 職人は仕事が終わると銭湯に行く。銭湯に行かないと体は泥やススで汚れている。瀬戸の市街地には多くの銭湯があった。

 自分が瀬戸に来たときはまだ銭湯の多くあった。自分がよく行っていた銭湯は祖母懐の交差点北にあった祖母懐湯だ。帰りに洗った髪の毛が凍ってメガネに当たりカチカチと音がしていたことに驚かされた。ここも住宅ができどこにあったのかまったくわからなかった。

 また、末広商店街の西側の瀬戸川沿いには伊香保温泉という有名な銭湯があった。ここは昭和30年に公開された映画の撮影が瀬戸で行われたときに有名人が訪れた。山田五十鈴香川京子が出演した『青銅の基督(キリスト)』だ。瀬戸が最後の花を開いた時代だと思う。料亭があり、出演者やスタッフが多分訪れたはずだ。そこも瀬戸街道の道幅を拡げるためなのかいつの間にかなくなっていた。

 銀座通商店街の西側にある銭湯の煙突だ。宝湯だったんだろうが建物は確認できなかった。左手のお店かなとも思ったが違っているようだ。

 銀杏木町には日本鉱泉という銭湯が最近まで経営していようだ。ここはは義父が西本町に住んでいた子供の頃、人魂に出会い逃げ帰ったのはこの銭湯の帰りだ道だ。戦前の話だ。日本鉱泉は最近までレトロな銭湯で銭湯マニアには名が知られていたようだ。時代の流れには逆らえない。

 日本鉱泉のあった銀杏木町は、窯神橋方面から文化センターへ抜ける道が瀬戸大府東海線として整備されているが、自分が瀬戸へ来た頃(50年前)は狭い薄暗い道路でまっすぐは行けなかった。その頃は文化センターというものはなく、今の瀬戸蔵の前身の市民会館で文化的な行事が行われていた。この市民会館は元の瀬戸の市役所だった。

 東本町の魚六という鰻屋の前に銭湯があったが名前は覚えていない。他にも玉の湯や深川湯などの銭湯があった。