setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言279 豊川海軍工廠(その1)

 子供の頃は、戦後十数年も過ぎていて、しかも両親は戦争の話は全くしなかった。豊橋って平和の町だと思って育った。戦争はマンガで覚えた。

 田原の友人から、『親戚のおばあさんが動員されて行っていた豊川海軍工廠での空襲で偶然生き残ったことを、ずっと心の中で悩んでいた』と聞いていた。その日は体調が悪く工場に行けなかった。いっしょにいたはずの女学生たちがみんな亡くなってしまったのだ。その話を聞きながら一度もここに来てなかった。

 豊川(とよかわ)の海軍工廠?何故?豊川って豊橋より陸地で海はない。海軍のイメージとはかけ離れている。平和公園内に戦争遺跡とともに資料館がある。軽い気持ちで行動した。豊橋にも戦争遺跡が多く残されている。空襲もあった。豊川はもっと残酷だ。空襲で多くの若い人達が死んでいる。兵隊ではなく、女子高校生、武器づくりのために動員された若い女性たちだ。男は兵隊に行ったのは当たり前で誰もが知っている。ところが若い女性も強制的に動員されていた。B29がその工場に30分間で3000発以上の250kg爆弾を落としたのだ。焼夷弾と違い破壊することが目的の爆弾だ。海軍工廠は全て破壊尽くされた。2500人以上の死者が。当然それ以上のけが人が出たはずだ。

 もっと調べないと軽々しく記事にはできないだろう。心は重い。