setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言333 ハイカラさんが(大正村)

 この日、資料館で4人の方と出会った。最初は受付嬢。地域のために貢献されているご婦人だ。そして大正時代の着物を着た二人連れ。女学生のスタイルだ。見学を終え靴を履いていた。すごく似合っていた。当然一声かけてモデルに。ブログに載せるので後ろ姿だけ。

 4人目は、自分と同年輩の女性。言葉に懐かしい岡山のなまりが。大学時代の友人と同じなのだ。倉敷から愛知県の大学に来ていた。彼は真剣に講義を受けて単位をとり、自分は真面目に遊んでいたころだ。

 彼の口調と同じなまりが。受付の方との会話を聞いていて思わず間に割り込んでしまった。大学の友人とは交流がなくなって半世紀たつが、彼の口調は頭の中に残っていた。

 資料館では全国の昔の人形の展示がされていた。土雛(つちびな)のことを岡山の彼女は初めて知ったと言われていた。土雛は足助が有名だ。中馬街道沿いにかけて伝わった風習なんだろう。

ポスター、カレンダーのマンガのようです

今年の大正村でのおひなまつりのポスターだ。

 赤煉瓦の建物は十六銀行明智支店。こんな建物がこんな田舎(失礼)にあったんだと思うと、当時の中馬街道が産業の道として地域経済を支えてきたのだろう。中央本線明智を通って瀬戸・名古屋に、そして瀬戸から岡崎への計画が検討されたのは理解できる。結果的に実現できなかったが・・・。