八つ(午前2時頃)と思われるころ、西の倉あたりから焦げ臭い匂いとともに、パチパチ音がしたと思う間に急に火が噴き出し、倉は火の海となりました。南の倉には油が入っているから大変です。あれよあれよという間に、火は燃え広がり広い市場屋も母屋から倉まで全部灰になってしまいました。そればかりか家の中に寝ていた主人の四郎兵衛も奥さんも一人娘も召使いたちも、みんな焼け死んで、一人も助かりませんでした。
街道でも有名な百万長者の市場屋もあっという間に燃え広がった火事のために滅びてしまいました。
火事のあった夜更けに、気が抜けたようになって市場屋の倉の辺りをうろつくお玉を見たという者や「茶釜、返せ茶釜、返せ!」と叫ぶお玉の声を聞いた者がいたので
『つけ火だ、つけ火だ、恨みのつけ火だ。』と誰言うと無く村の人々は噂しあって怖がりました。辺り一面灰となった主人の家の焼け跡に半狂乱になった喜蔵の姿がありました。
しかし市場屋は、もう元には戻りません。
品野こげても 市場屋はこげぬ
こげぬ市場屋も 火にゃこげる
百万長者の市場屋さえも
燃やしゃ 一夜で灰となる
信州通いの馬子たちは、街道名物市場屋が滅びたことを悲しみ、このようにったものだそうです。
その後、喜蔵は、お玉へのお詫びとして小さな碑を建てました。そして誰言うと無く、イボができたらこの碑にお参りすると不思議にとれるという言い伝えが生まれました。
今でもお参りする人があり、イボ神様といっているのがこれだそうです。
角甚があった細い交差点から南に行くと碑が今も残っています。