setokouchanの日記

とうとう72歳、今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記&記録として毎日記事を書いています。

年寄りの戯言295 もうすぐ陶祖まつり3 洞の半次郎窯①

 本業窯の一里塚ともうひとつ洞に半次郎窯が残されている。窯垣の小径を通りながら、洞の奥へ向かう。小径の資料館は月〜水曜日が休みだが、駐車場は午後5時まで開いている。

 窯垣の小径は昔の洞の街道、馬が通れるだけの幅しかない。起伏の多い山道なのだ。その後新道として馬車が通れる道ができた。

 

 洞の道を通って焼き物は、西に向かい今の末広商店街に抜け、御会所(陶磁器が集められ等級に分けられる)に運ばれるのあった場所はやがて市役所になり市民会館に、今の瀬戸蔵となる。この場所の川沿いにには、記念橋と呼ばれる駅があった。バスの駅だ。日本で最初に省営(国営)バスがこの瀬戸の川沿いに岡崎との間を走った。それを記念して記念橋駅という名前がついた。

 瀬戸川沿いに進むと名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅がある。昔は瀬戸電と呼ばれ、名古屋城のお堀の中を通り堀川までつながっていた。洞の本業窯で焼かれた陶器は、馬車や大八車に乗せられ新道を下って瀬戸駅まで運ばれ、船で日本全国さらに外国まで運ばれたのだ。

 洞は瀬戸物(新製焼、磁器もの)より本業窯で焼かれた美しい陶器が多かったようだ。先日訪れた一里塚の本業窯と洞の半次郎窯は、元々一つの同じ窯が解体され、二つの窯に造り直されたものだった。13連房の巨大窯がどちらも4連房の本業窯として新しい半次郎窯と一里塚の本業窯に生まれ変わった。

 2つの窯は瀬戸市文化財に指定されている。陶祖まつりは陶器の神様のお祭りだ。2つの本業窯や窯垣の小径を訪れると面白いだろう。