setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

旭第一尋常小学校と效範小学校

 昨年、瀬戸市立效範小学校が150周年を迎えた。

 明治6年に今村に『效範学校』が慶昌院にできた。瀬戸第一尋常小学校(陶原小学校)より数ヶ月前だ。明治時代の今村は瀬戸とは別の村だった。現在の尾張旭市になる村々と併合して八白村に、その後、新居や印場などの村々と合併し旭村ができる。

 旭村では4つの小学校あり、東側から旭第一小(效範)第二小(新居)第三小(稲葉)第四小(印場)と学校番号が振られる。ところが旭第二尋常小学校(新居)になんと高等小学校ができ、実質的に第一番の小学校になる。そのため明治41年に第一小だった今村の小学校は旭第二尋常小学校と呼ばれるようになる。

 当時の旭村は財政にゆとりがなく旭高等小学校の教育予算で手一杯だったこともあり、旭第二小(效範)は、校舎を増築できない。今村は、旭高等小より格が低く?なったため、経済力のある瀬戸に近づく。

 ちょうど瀬戸村から瀬戸町へと変わるタイミング。この時期に美濃池とともに分村を決め、瀬戸町と合併した。瀬戸町立效範尋常小学校になり、八白村時代に一緒だった三郷などと分かれてしまう。特に狩宿は旭村に残ったために、現在も瀬戸川の瀬戸市尾張旭市の市境は複雑になっている。 

 尾張瀬戸は瀬戸物の衰退とともに下降線をたどったが、尾張旭は、広い農地が大きな工場や名古屋のベッドタウンになり発展した。100年前に我慢して今村が旭村に残っておれば、もっと税金が安いはずだったと嘆く声が聞かれる。すぐ隣の家が尾張旭市の住人だと余計に考えてしまうのだ。