setokouchanの日記

ついに73歳、今住んでいる瀬戸市について思ったことを文字や写真に。日記&記録として書いています。

最近のショック4Kが

最近、新聞に細ぼそと載る記事に、テレビで4K番組は作らないがある。BSが殆ど通販番組になり、スポンサーが減ってしまった。さらに4Kの番組制作には金がかかる。今さら驚かないが、夢がなくなってきた。

 20年程前、地デジだ3Dだと言われて新しいテレビを購入したことを思い出す。8Kまである日本の番組は世界で求められていなかったんだろう。自分もYouTubeで昭和20年代の昔の映画を時々観ることがある。それなりに、いやそれ以上に満足できる。見た目より中身が大切なんだろう。

サクラ開花しました

今日、3月19日午後1時に瀬戸市の川西公園のサクラを観察すると、1本の木だけですが10輪ほど咲いていました。2026年のサクラ開花宣言を町内のお年寄りに伝えました。

伏屋の獅子芝居

 自分の住む地域今村では、戦後まで獅子芝居が行われていた。その写真が東松照明氏の写真に記録されていた。90歳前後のお年寄りたちは、現在の瀬戸信用金庫共栄支店の北側に公会堂があり、昭和18・9年に親に連れられて見に行ったことを覚えていた。写真の袖幕には『旭村大字今 川西嶋』と書かれている。今村の川西嶋の獅子芝居のグループだろうが郷土誌「いまむら」には、昭和23年の公演が最後と書かれていた。瀬戸市美術館で聞くと東松氏の写真は昭和29年、しかも撮影場所は瀬戸の中心地がほとんどで今村ではないはずと言う。

 獅子舞というものは何となく知っていたが、獅子芝居は全く知識がなかった。

 自分の住んでいる今村地区の記録(郷土誌「いまむら」では、昭和10・20年代に今村で獅子芝居を演じていたメンバーは、瀬戸川の南側の寺山や市場嶋では9人、川の北側の北脇や川西嶋で14人もいた。彼らは現在の江南市の今市場の獅子芝居の一座に指導を受けたという。江南市まで調べに行ったが、今市場の獅子芝居は残念ながら現代の新しい世代には継承されていないようだ。

 ネットで調べると現在でも残っているのは岐阜県美濃地方、特に岐南町伏屋では若者を入れて継承されている。『岐南地芝居公演2025』ビデオ化されてYouTubeにアップもされていた。岐南町の歴史民俗資料館では民俗資料集Ⅵとして『伏屋の獅子芝居編』(改訂版)にまとめられていた。

 

 伏屋の獅子芝居は現代でも継承されていることは分かった。獅子頭は髪がなく耳が立ち黒紋付、設定も男が女性を演じている。演目も「鳴門の子別れ」と同じだ。

 獅子芝居の始まりは三河尾張だ。今村の獅子芝居は尾張の今市場(江南市)の一団から学んだという。今回は残念ながら今村の獅子芝居と伏屋の獅子芝居とのつながりは見つけられなかった。獅子芝居は愛知県と接する美濃地方の関市・多治見市・恵那市瑞浪市などには残っていたことからも愛知県の三河から伝わったことも確かだろう。じゃあ三河のどこだろう。奥三河東三河?西三河なのか、楽しみが増えた。

久しぶりに スノームーン

 毎日寒い日が続くと、年寄りになると動かなくなる。外に出るのがおっくうになる。さぼっているうちにいつの間にか2月になってしまった。午後7時過ぎ我が家から東の低い位置に現れたスノームーン。外に出てチャチャっと(瀬戸弁で急いでの意味です)撮影した。

 明日は節分だが、今年はまだ寒い日が続きそうだ。春探しをしないといけないが・・・。

瀬戸は雪でした

 雪が積もった。

 1月12日は今季最強の寒波がやって来た。名古屋では積雪1㌢だとの報道が。朝起きて外の確認に出たら5㌢程度積もっていた。名古屋より寒いので当たり前だと思っていたが、知り合いが品野方面はあまり積もっていないと言うではないか???

 自分が瀬戸に来た頃は、豊橋よりはるかに寒かった。その後瀬戸の西部に住むようになり、瀬戸街道を東に進み古瀬戸から品野方面に行くと段階的に雪が増えて行く。瀬戸駅前で降りが激しくなり、宝泉寺辺りから屋根に雪が積もり始める。品野口からは歩道は白くなり、品野に入ると路上が真っ白になる。さらに交番前を上品野方面に曲がると白銀の世界だった。

 瀬戸っ子には見慣れた世界だろうが、豊橋生まれの自分には楽しい世界だった。四駆で走っていたのでまだ若かったこともあり当時は『雪やコンコ・・・犬は喜び庭駆け回り』気分だった。残念ながら半世紀経った今は『猫はコタツで丸くなる』状態である。

  

 今日の雪はなんか今までの降り方と違う気がした。