setokouchanの日記

もうすぐ70の年寄がPHEVで観音巡りにチャレンジ中。丸数字はカテゴリー別の記事の順です。

男もあるよ更年期中編

 手術までの半年で2回の自己血400㏄を採った。こんなに採られたら死んでしまう。でも意外に平気だった。
 3月末に手術。全身麻酔だ。「◯◯さん、打ち・・・。」と言い終わらないうちに意識は無くなった。起きたら集中治療室にいた。すぐ部屋に運ばれる。歩かされる、食べさせられる。病院食といっても量が多い。
 5日入院してすぐ退院した。本当は後2日いても良かったのだが、退屈なので、頼んで早く出た。
 
 長々と前置きを書いたが、やっと本題に入れる。
 前立腺腫瘍で全摘手術。男性としてはもう駄目なのだ。男性ホルモンも出なくなり、体のバランスが崩れていく。二ヶ月後に職場復帰予定。
 しかし眠れない日々が始まり、酒の量も増える。ふらふら状態になる。主治医の先生に相談しても「よくあることですよ、◯◯さん。」ニコニコ顔で答えた。病人はそんな答えは欲しくない。2度目に相談したらメンタル科を紹介してくれて、別の科に行くように言われた。「あの先生は切ることに関しては名医です。」と別の患者が言っていたことを思い出す。すごく優れた技術を持っていた。でもイコール名医とは言えなかった。
 また、この体験をして分かったことは、総合病院とは、いろいろなことを総合的に考えてくれる病院ではなかった。一つの特化した病気を治療する医者が集まっているだけだった。「定期的に検査に来てください。」「はい。」と答えながら、「その定期検査は大腸がんや胃がんもわかるんですよね。」とおもわず聞いてしまった。とろい話、前立腺ガンが肺に転移した場合は、泌尿器科で検査できるが、肺ガンのことは分からない。???。知らなかった、肺にガンができても肺ガンではなく、前立腺ガンの転移のガンもある。全部取ってしまったのに変だなと思っていたら「心配なら別の科にかかってください。」
 患者は、病気になるのはそれ一回だけだ。どういう過程を経てどう手術して、治るまでにどんな症状が出るか、全て初めて経験するのに。先生は、医大を出て何年も経験を積んで何でも知っている。頭が良いということは逆に理解できない人の心が分からないのだろう。
 2年くらい真面目に定期検査をしに行ったが、馬鹿らしくなってやめた。全部取ったのに・・・。結局理解できていないのかな?

 30年前に義父が大腸ガンで亡くなった。ガンが見つかる2年前に心臓の手術をしていた。その時点で見つけてくれなかったことを、不思議に思っていた。合点がいった。心臓外科は心臓のことだけは分かるが、他のことは知りませんということが。総合病院という言葉が誤解を生んでいるのだろう。

 自分の前立腺がん発見に導いてくれたのは、いつもの行きつけの町医者だった。自分より少し先輩だ。毎年検診をしてくれていた。自分の手術した数年後に、その町医者の先生が若先生になっていた。こっそり馴染みの看護師さんに聞いた。先生は、すい臓がんだったとのこと。医者の不養生だ。発見が難しかったという。患者のことを考えてくれる素晴らしい先生だった。
 若先生の話口調は、亡くなった先生とそっくりだった。

 こんなことを思い出したのは、万城目学さんの悟浄出立(ごじょうしゅったつ)の中の『父司馬遷』を読んだから。

 また、最後まで話が進められなかった。ゴメンナサイ。中編につづく。

PHEVは今日も走る

 ホンダ車との相性が悪い。

 ホンダNシリーズの後ろに信号待ちすると必ず、前方、そして右前のアラームが鳴る。ピーピー時にはピーピッピッピーーととうるさく鳴る。きっと相性が良くないからだろう。でも最近は、ホンダ車も同時にうるさいんだろうなと思うと、チョット面白い。相手もまた三菱車か〜と言っているんだろう。もし相手の車のアラームが鳴っていなかったら怒れてくるだろう。鳴っていることを期待している。

 たまにBMWと一緒になることがある。BMWも車種によって鳴ることがある。飛ばしていたり、時には煽ってきたり、嫌なことが多い車だ。ピーピーと鳴ったら、もっと鳴れと応援したくなる。外車が買えないケチな性分の悪い性格だ。前の車のドライバーには何の非もない。車の中は、妄想の自由空間かもしれない。

 エクリプスクロスのACCは、使い慣れないせいもあり、好きになれない。理由は簡単だ。電費が落ちる。普段B3にして回生ブレーキを使う。車は多分センサーをいっぱい使って、神経ピリピリで走っているんだろう。お疲れさん。まだ自分の方が運転は上手いんだと車に言いきかせている。

 最近長い距離を走らない。設楽湖やダムの建設状況は、どうなっているんだろう。山の中の道はカーブが多く、ドライブが楽しめる。阿智村には満蒙開拓平和記念館がある。でもコロナの関係で閉館中のようだ。まだ自粛しないといけない。満洲国についてもっと考えるための資料が欲しい。美濃33観音も岐阜市の9か所が残っている。三河33観音は手つかずだ。ドライブもしたい。

 今日は、岸田内閣改造人事が決まる。旧統一協会が何か記者会見をすると急に言い出した。何か一波乱あるのか。

 

言霊3

 沖縄の島ネコさんからいいねを頂いた。でも反対に自分から彼にいいねが返せない。理由は簡単だ、術を知らないからだ。

 彼のブログを読ませてもらう。分かり始めたことは、彼は還暦を超えたこと、そして働くことが大好きなことだ。あわせて納得できない社会政治に不満を持っていることなどなど。
 自分も働くことは大好きで、学問よりバイトに明け暮れながら、自分勝手に楽しんできた。40年程働いて定年まで過ごした。定年後アルバイトを少しはしたが、今はひま。

 仕事をしなくなって、大きく変わったことは、年を取ったことをいやでも感じるようになったこと。そして、グチを言いたいのに言えなくなったこと。ネコに向かってしゃべる場面が増えたこと。飲み会がなくなって、ビールの宣伝を見ていると思わずうまそうと言ってしまうこと。などなど。

 今やろうとしていることは、言葉を言い換えようと思う。
ネコの散歩中にイヌの散歩に出会う。「チェッ!また会った。」ではなく、「また、会えた。」うちのネコもイヌに慣れてきた。最近は、シバイヌにはフーッと言いながら威嚇できるようになった。犬の飼い主さんとも世間話ができる。前なら我が家のネコたちはシッポをたれて逃げ帰っていた。例が悪かったが、ちょっと考え方を変えるだけで、ひとつの場面の見え方考え方が変わってきた気がする。肯定的に物事を考えるほうが楽しい。楽しく生きるための一方法だ。

 ただ間違えてはいけないのは、電話にかかってくるオレオレ詐欺や蓄電池・太陽光、屋根の点検を無料で行いますなどの甘い誘いの言葉だ。肯定的に彼らの話を受け入れるととんでもないことになる。政治家(屋)も疑って言葉を聞かないといけない。

 島ネコさんのブログを読みながら、いろいろ考えさせてもらえた。
 
 

男もあるよ更年期前編

 先日、ある芸能人の方、男にも更年期障害があるよと記事に書かれている。自分も同じ意見だ。
 現職の時の1年に1回の定期健康診断、いつもほとんどの項目がA判定だ。55歳になるときかかりつけの医院の先生が、今年度から前立腺の検査ができるようになりました。どうしますか?何でも関心がある自分は「お願いします。」即答。血液検査だ。この検査最初の一人になった。ひと月後検査結果を聞きに。
 結果は見事に最初の前立腺検査の要精検になった。数値はわずか超えた程度だったので、「大丈夫ですよ。殆どの人は、何ともないですよ。」と優しい先生だ。
 気楽な気持ちで総合病院へ。下の穴から指を入れられ前立腺の細胞をとる。
 数週間後、「奥様と一緒に来院してください。」の電話があった。精密検査の結果は「腫瘍ですね。」
 改めて泌尿器科の外来でどうするか相談した。その先生は、腹腔鏡手術もあるが完全には取り切れないとのこと。「さらにぼく(先生)は開腹手術は回数をこなしていて、術後の治りも早いです。」との話。仕事柄、長く休みたくない。「この腫瘍は成長は遅いので休めるタイミングでやりましょう。」どう見ても切りたくてたまらないタイプだ。
 「半年後に開腹手術で全部取ってください。」が結論となった。

 男でも更年期があるよの中編につづく。

バイト

 昔は子どももよく働いた。アルバイトだ。兄貴の代は鉄くずなどを集めたり、豊橋は市電が走っていて、近くの電車の車庫に行き、電車の掃除をした。やがて市電の車庫はバスの車庫になる。ここで面白いアルバイトをした。夜中の10時過ぎにこの車庫に行く。このバスで豊川にあるタイヤ製造工場?に行き、遅番の帰る従業員を載せ、東栄町方面に運ぶ。と言っても自分は中学生だ。運転手の助手だ。ただ運転席の横のガイドさんが座る席にいればいい。当時の国道151号線は狭かった。一番前の席でヘッドライトに浮かぶ真夜中の山の景色を楽しんでいた。当時はおおらかな時代だった。結構実入りはあった。帰りは、運転手との話が楽しかった。
 中学を卒業して高校に入学するまでのひと月は、友人が見つけたダスキンのバイトだ。ダスキンといえば今は有名だが、当時は日本に入ってきたばかりだ。その代理店が、区域を決めて一軒一軒家を訪ね、モニター利用をすすめる仕事だ。ダスキンって、黄色の雑巾だ。あの頃は画期的な商品だった。
 
 高校時代のバイトは、中学校の宿直だ。宿直室に夜一人で泊まる。学校の怪談が有名になるのはもっと後の時代。真夜中に学校の階段を上り下りする。一度も理科室の骸骨には会えなかった。
 友人の中にはこっそり軽自動車の限定免許を取りN360に乗り始めた奴もいた。バイクは250か125ccに乗っていたやつもいて、高校の近くの下宿にとめていた。
 そんな中で自分は自転車が面白かった。アルバイトをすると金が貯まる。それで買ったのは、まずミヤタの5段変速付きのスポーツタイプの自転車だ。
 大学生のころは、ブリヂストンのロードマンという名車を買った。4万9800円だった気がする。36万円でパブリカが買えると宣伝していたのは少し前。大卒の初任給が10万円を超えるのはまだ年月がかかった。
 ロードマンはドロップハンドルの自転車のスーパーカーだ。前後にギヤがあり2☓5の10段変速機つきだ。当時のスポーツカーでも5速の変速機が出始めたばかりだ。
 アルバイトをしていてもこれが精一杯。それでも楽しかった。自分の足で浜名湖を一周したり、渥美半島方面を軽快に飛ばしていた。少し前に開通した多米トンネルから降りてくる急カーブが面白かった。自動車はあまり走っていなかった。

 田中角栄ロッキード事件で失脚する。高校時代に彼は日本列島改造論を発表し、給料が上がり始め生活感が変わってきた気がする。無理やり経済を豊かにして素晴らしい政治家だと思う反面、その影で公害が出てきた時代だ。

 この頃を再現したいのが、今の政治家たちじゃないのか。当時のトップは池田勇人佐藤栄作(岸さんの弟)、角福の対立があり角さんが勝つ。角さんが自滅して福さんが総理になる。まだ顔は覚えている。でもあまりいい印象は残っていない。
 今は孫の世代が政治家になっている。おじいちゃんたちの栄光の時代を見て育った。過去にいつまでもあこがれていてはだめだ。そんな時代はくるわけがない。新資本主義って?いったい何だ。いまだに中身が見えてこない。名前だけはすごい!

穂の国観音巡り(3月6日)その3

 3番札所4番札所と順調にお参りできた。しかし、前芝にある5番札所の蛤珠寺(こうしゅうじ)は見つからなかった。広い道から裏道に入ると、すれ違いなど全くできないどころか曲がることもできない。川沿いからも入れない。バックで戻ること、他人の庭に入り込むこと、何回したか。不審者間違いない。パトカーが来るのではと思いつつ、パトカーも曲がれないだろうなと思った。
 墓地があり土塀に矢印があった。自分の技量では曲がれない。切り替えしたがダメ。車を買って1年、そろそろ擦るはず。いつもそうだった。バックで逃げ帰った。
 頭を使ったので腹がへった。コンビニで購入。大崎の海岸で食べた。

 10年ほど前まで、西岩田町の運動公園通りに松屋といううどん屋があった。豊橋に来るときは松屋で冷たい天ころうどんを食べた。これがめちやめちゃ美味しいのだ。帰りには天かすが貰えた。我が家は、昼は麺類ばかりだ。これに天かすを入れる。たとえ特価で買ってきたうどんだって高級感が出る。
 残念ながら建物が古くなったのか廃業された。

 その後ご主人たちはどうしたのか、豊橋のネットワークを使って調べた。息子さんがお店を出した。その場所が豊橋の前芝だ。モーニングにうどんが付いてくることでテレビでも取り上げられた。キッチンベルタという名前だった。2・3度客として行った。御主人は覚えていてくれて、懐かしい冷たい天ころうどんをいただき、天かすまで貰えた。知らぬ間にそのお店もなくなっていた。何処かでお店を出していたら直ぐにでも行きたい。

 今回行きたいと思っていた蛤珠寺は店からそう遠くない位置にある。4・500m北にある店は国道23号線という広い道の裏道になっていて知っている人しか行かなくなってしまう。新幹線が通ると主要駅の周りは賑わうが、周りの地方都市は景気が悪くなる。規模は違うが、同じ構図だなと思う。

 今回、五番札所にたどり着けなかったのは、恥ずかしい事を言ってしまうが、このお寺の読み方が分からなかった、だから人に聞けなかったからだ。この罰当たり目がと、近寄ることすら許されなかったからだろう。ついゴメンナさいとつぶやいて、帰途についた。
 

穂の国観音巡り(3月6日)その2

 小坂井の報恩寺を出て4番札所に向かう。旧道に戻りJR本線の踏切を渡り、東海道本線の西伊那駅方面に向かう。この辺りは、豊川放水路とJR東海道本線・JR飯田線名鉄本線などが入り組んでいて、しかも道は狭く、ナビに頼るしか無い。

穂の国観音巡り 4番元札所 東漸寺

 万年山 東漸寺 地蔵菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院。 聖観世音菩薩を観音巡りの霊場本尊となる。

 東漸寺は、幼稚園も経営されていて、山門を入ると左手に園児の声が聞こえてくる。また、境内には花が咲き乱れ、結構お年寄りの散歩コースになっているようだ。

 東漸寺を出て西に向かう。蒲郡街道まで出て、前芝の5番札所に行く。