setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

2024-02-01から1ヶ月間の記事一覧

PHEV最初の車検だ。明日から3月

暦の上で、春。でも暑いのか寒いのかわからない。寒暖の差があり身体がついていけないのは、自分だけではないだろう。 自分のエクリプスクロスが3年になる。一回目の車検だ。篠木の三菱でお願いした。ついでに夏タイヤへの変更もしてもらった。車体のコーテ…

中馬街道の歴史を歩く会その12(十三塚地蔵堂)

十三塚について瀬戸ペディキュアには、次のような話が載っている。 今から400年ほど前、長久手というところで豊臣方の軍勢3万が、1万8千の徳川方の軍勢に後ろから攻められて、みじめな負け方をした時の話じゃ。 敗れた豊臣勢の侍は、てんでばらばらに逃げた…

第5回せと歴史探訪講座 やっと③(青の広場と伊香保温泉)

2月2日に範效公民館で行われた瀬戸蔵ミュージアムの元館長武藤氏に教えてもらったことの3つ目の記事になる。 宮前(深川神社前)は瀬戸の劇場や料理屋が多くの人が集まった。昭和29年に『青銅の基督』の映画の撮影が瀬戸キャニオン(粘土鉱山)で行われた。…

中馬街道の歴史を歩く会その11(陣屋・安戸の馬頭観音から十三塚へ)

29名の年寄りを中心とした団体は、ここに来た頃に先頭から最後尾まで長い列となっている。ゆっくりお顔を拝見する余裕はもうなかった。写真だけ撮らせてもらった。 尾張旭の郷土の研究家の石頭逍遥氏が『瀬戸の馬頭観音』の記事には、『光背には「明治28年8…

中馬街道の歴史を歩く会その10(加藤商店から陣屋・安戸の馬頭観音へ)

歩く会の面々は、窯神グランドを過ぎると左に曲がり、次も左に。陣屋の道に入る。 基本的にはこの通りが中馬街道だ。道は南西方向に進む。 陣屋の道に入り400mほど歩くと、右手に赤い郵便ポストが目立つ加藤商店になる。 この加藤商店の前を斜めに入っていく…

今日2月24日はスノームーン

今日は、今年最初の満月だ。というとそんなはずはないと言われそうだが、旧暦でいうと最初になる。睦月15日が新暦の2月24日になる。旧暦でいうと今年最初の満月が今日だ。別名スノームーン。地球から一番遠くを通る月だから小さく見える。 スノームーンをス…

中馬街道の歴史を歩く会その9 (青面金剛王と庚申堂)

青面金剛(しょうめんこんごう)王と記されている石塔だ。青面金剛像と言えば怖いイメージがある。青い顔で、三つの眼があり怒り丸出しの怖い顔、足元には踏みつけられて3匹の猿。昔は、奇病をもたらす鬼だったために、人々は祀ることによって災から逃れよう…

中馬街道の歴史を歩く会その8 (掘出し地蔵の昔話)

堀出し地蔵はSetopediaにはこんな話があると書かれていた。 伝承地 瀬戸市湯之根(この場所の北東)あたり? 昔、加藤治右衛門(じえもん)さんという人がいました。治右衛門さんが、ある夜、眠っていると夢の中にお地蔵さんが現れて、 「私は、昔、観音山に…

旧山繁商店 享保雛

堀出し地蔵前を南下すると左手に古い大きな家がある。曲がりくねった細い道を少し進むと、きれいなつるし雛が入口に飾られている家があった。のぞいてみると一人の女性が黙々と作業をされていた。お雛様はまだ準備中で23日から公開するのぜひ見に来てくださ…

明日はネコの日だって?

我が家の猫たちです。上がノア君。下がラムちゃんです。今は9歳と7歳半です。写真は5・6年前です。 仲の良いころがありましたが、この頃は毎日2・3回はバトル。自分を踏み台にして平気で飛び回っています。でもどこかの国と違って、すぐ停戦になります。 …

中馬街道の歴史を歩く会(泉町の山崩れ)番外編①

中馬街道を歩くために品野のグループが宮前から追分まで30名近くの年寄りが歩いた。2月11日のことだ。自分も参加したが、今日20日、池田通りを北上しもう一度堀出し地蔵の撮影が目的だ。 目的以外にとんでもなく自分にとって、得ることが多かった。堀出し地…

中馬街道の歴史を歩く会その7(道標と堀出し地蔵)

右手から左手に向けて歩いた。ひかり保育園が右手奥にある。ひかり保育園の前を下っていく道が池田通り、銀座商店街を横切って記念橋に出る。写真を撮っている自分の後ろは迷路に近い道だ。窯神神社や銀座商店街の西方面に行けるが、結構複雑だ。 堀出し地蔵…

中馬街道の歴史を歩く会その6(交通安全観音から堀出し地蔵へ)

泉町の山崩の石碑から印所街道に戻り北上する年寄り集団。(実は母親と男子中学生の親子も参加している。)しかし平均年齢は自分より高いだろう。最高齢は90歳だ。上り坂になると列は長くなる。 狭い道を通っていくとこんな目立つ看板がある。車で通ると気に…

中馬街道の歴史を歩く会その5(泉町の山崩の石碑)

中馬街道の痕跡を探しながら30名近くの集団は印所街道を北上し、陶祖公園方面に抜ける道に右折。すぐ右の路地を上ると左手奥に泉町の山崩を記した石碑が建っている。 昭和32年8月7日の大雨のため、瀬戸市泉町で山が崩れ22名もの死者を出した。この30年は高度…

安城市歴史博物館 昭和の家族

安城市の歴史博物館では、安部朱美さんの『昭和の家族』という特別展が開かれている。今日、予定が空いたので急遽走った。 彼女が体験してきた昭和のことを人形で忠実に再現している。まず感じたことは描かれた人々の温かい心と人形の明るい表情。 自分は、…

中馬街道の歴史を歩く会その4(焼き物でできたお寺の鐘)

歴史街道を歩く会は、深川神社から秘密の通路を抜けて市杵島神社に。この神社のすぐ隣りにある法雲寺へ。 山門から入って右奥に、普通では考えられない物が置いてある。陶器の梵鐘だ。高さ115㌢、直径80㌢の梵鐘だ。昭和17年に製作された。 日本は、日中戦争…

岐阜市歴史博物館で

ここの資料館の一番の大きなことは、触れさせること、そして道具を使ってもらうこと。実際に体験できることで昭和を考えさせている。井戸水を汲むのに手動式のポンプがあり、子どもたちが使っているのだ。そして当時は子供が手伝わなければならないことが当…

ちんたら

『ちんたらやっとらんでちゃちゃっとやらんか〜!』 ちゃちゃっとやるは、サッサッとやることで瀬戸弁だ。チンタラは、意味は分かるが、妻が使うので瀬戸弁と思っていた。しかし瀬戸弁ではないようだ。反対語としてチャチャッと、があるが、瀬戸弁で『のんび…

中馬街道の歴史を歩く会 その3(まぁよく歩いたもんだ)

中馬街道を歩く会の90歳を筆頭に総勢29名は、深川神社を出だしに、北へ南へそして西へ歩き追分を目指したが、途中で時間が無くなり地図の国道155号線にかかる⑪森橋でギブアップ。でもよく歩いた。80前後の方が多いのだ。アラウンドエイティの軍団が進む。 地…

中馬街道の歴史を歩く会 その2 秘密の通路

深川神社、瀬戸村の鎮守の神社。村人が集まる場所だった。特別に宝物殿にも入り、重要文化財に指定されている加藤藤四郎景正(陶祖)作の陶製の狛犬を見た。その横には釣鐘が置いてある。お寺?いやここは神社だ。説明では神仏混淆の関係だという。豊川稲荷…

中馬街道の歴史を歩く会 その1

今日は、品野の『郷土と文化を広める会』の総勢29人の集団が名鉄バスで瀬戸へ行った。品野から瀬戸へ行くのも宮前へ行くの意味だ。瀬戸の西部(今村)に住んでいる自分も瀬戸(宮前)に行く。バカ道路の駐車場に駐車して。午前9時半に瀬戸の宮前地下街の大鳥…

第5回せと歴史探訪講座 戦争と建物疎開②

公民館での『第5回せと歴史探訪講座』で、講師の武藤氏は、瀬戸にはバカ道路以外にも数か所の地域で建物を壊したとのこと。空襲による延焼を防ぐためだ。 さらに武藤氏は、西本町にある栄国寺の近くにお母さんが当時住んでいた(のだろう)長屋が、その区域…

PHEV岐阜市歴史博物館②でダットサンと出会う

苦労してたどり着いた岐阜市歴史博物館。ロープウェイで金華山を登ると岐阜城がある。でも自分が見たいのは博物館の『チョット前の道具たち』展なのだ。信長殿にはご無礼して博物館に。 二階の常設展の入口に信長がマントを羽織ってオープンにして乗っいたら…

PHEV岐阜市博物館へ① でも岐阜市内を走るのは難しい

岐阜の市歴史博物館で『チョット昔の道具たち』の企画展をしていると知って、すぐに行動するPHEV乗りだ。 出だしから躓く、走り始めてすぐ、とんでもない渋滞に。春日井で道路の工事。小牧の三菱小木店で充電し、各務原の岐阜基地経由で考えたのが甘かった。…

第5回せと歴史探訪講座 戦争と建物疎開①

瀬戸の宮前の『バカ道路』と呼ばれるバカ広い道路、南北の200mほどのどん詰まりの道だ。4月の陶祖祭や9月のせともの祭にたくさんの屋台が出て存在感があるが、普段は駐車場になっている。この幅広いどん詰まりの道は、元は家があり強制的に退去させられた部…

第5回せと歴史探訪講座『瀬戸に行かんでどこへ行く』

5回目は前瀬戸蔵の館長武藤氏による瀬戸の歴史の講座だ。 『瀬戸に行かんでどこへ行く』の瀬戸は、陶原小学校出身の武藤氏にとっても宮前だったということから、話が始まった。瀬戸は昭和30年代までは給料日が1日と16日の2回あり、宮前にはたくさんの露店が…

PHEVトヨタ博物館に行く(チョット似ていない?)

トヨタ博物館に行って、ミツビシのコルト1000Fに。1968年(昭和43年)製だ。2年前に2サイクルのコルト800が登場したが、非力のため4サイクルの1000ccに切り替わる。Fはファーストバックの意味だ。 じっくり見て驚いたこと、面白い窓だ。変なことに気がつく自…

節分が過ぎ、今日から春なのに考えてしまう

昨日、我が家の前を道に迷った老婦人がシニアカ―に乗って、家の前を通りかかった。話してかけてみると昔の知人に会いたさでやって来て迷ったようだ。でも見たことあるような風景だが分からないという。一緒に町内を回ったが結局分からない。 歳は90になった…

第5回歴史講座その1 記念橋を間違えて覚えていた

2月2日は、5回目の歴史講座だ。講師は瀬戸ミュージアムの前館長の武藤氏。瀬戸で生まれ育った方だ。瀬戸に行くということは、宮前に行くことだと話し始めた。この内容は今後まとめていきたい。 今回の講座で最大の収穫は、自分は間違えて覚えていたことを教…

年寄りの戯言620 第4回『せと歴史探訪』講座 今村について その3

郷土史を調べている方を講師に迎えて様々な話が聞けた。知識の豊富さに驚かされた。地域に生まれ地域で育って来た中で、先人から伝えられた歴史を歩きながら検証してきた。知識の豊富さがすごい。一部だけ紹介したい。 この日彼は、今村地区の西半分の説明を…