setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

みどりの窓口

 JRではみどりの窓口が半分になるとニュースで報道された。

 瀬戸にはJRの鉄道は通っていない。自分が瀬戸に来た昭和53年は、JRではなく前身の国鉄バスが高蔵寺から瀬戸を経て岡崎方面に走っていた。瀬戸市内には、記念橋駅と追分駅というバスの駅があった。人生経験がない20代の自分には、駅というのは電車や汽車など停まるものだと思っていたので、不思議だった。先輩に教えられ、新幹線の切符だけではなく指定席も購入できるとわかった。鉄道の駅とはかわりはない。

 しかもこの国鉄バスの路線は日本最初に国営のバス(当時は省営バスと言った)が走ったこともわかった。昭和5年の話だ。中央線の多治見駅と記念橋駅を経て岡崎を結ぶ予定だったので岡多線と呼ばれていた。日本最初の国営バスということで記念橋と呼ばれたと勝手に解釈していたが、全く違っていた。記念橋はバスが開通する前から瀬戸川に合流していた一里塚川にかかっていた橋の名前だった。多治見との間には品野町(当時は瀬戸とは別)に品野駅というバス停もあった。

 記念橋駅の存在は非常に便利だった。近くに住んでいたので仕事が終わってから行っても窓口が開いていたり、休みの日に行っても待たずに乗車券や特急券が買えたりした。当時は国鉄だ。民営化され利益が優先されるようになり、合理化ばかり優先される。地域を結ぶ公共交通機関は廃止されていく。瀬戸市内にはJR関係は数年前に全てなくなっている。

 昨日のニュースでは、東京都内のみどりの窓口のある駅は半減する。みどりの窓口にいくにはJRに乗って行ってくださいとの事。年寄りには住みづらい世の中がどんどん進みそうだ。

 国鉄といえば「つばめマーク」だった。写真は名古屋の港区にあるリニア・鉄道館だ。SLから新幹線まで学べる。何よりも瀬戸を走った日本最初の省営バスが展示してある。