setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言293 中馬街道を歩く会 番外編(市場屋の火事)その1

 火の見下西の常夜灯でいろいろ方に話が聞けた。その中に市場屋の火事の話があった。瀬戸の昔話をまとめた『りゅう』と『花川』昭和52・3年に子供向けにまとめられた本がある。その本の中にも載っている。

 『市場屋の火事』

 今から140年前のお話です。

 中馬街道の途中にある下品野村は、山の高い所にあるので、よそよりは寒さがひどく、その年の大晦日その寒さは村の人達を縮み上がらせました。

 街道から少し西に外れたところにある中山家では、一人暮らしのお玉が、黒く汚れた行灯(あんどん)に火を入れました。これから夕食の支度にかかるのです。この貧しそうに見える家の台所のすみに金色の茶釜があり、お湯が湧いていました。

 中山家といえば、人に知られた家であったが10年前に、旦那さんに死なれてからは、急に貧しくなって、その日の暮らしにも困るほどになってしまいました。

こんばんわ。

声をかけて親類の市場屋の手代の喜蔵が入ってきました。喜蔵は、お玉の子どもが旅に出かけるときに市場屋から五両のお金を借りていたので、その金を取りに来たのです。

主人がやかましく言うもんで、今日はなんとか返してもらわんと、私が困るので、頼みますわ。

喜蔵さ、わたしゃその日のことにも困っとるで、どうにもならんがな。

そんならわしゃ何か代わりになるものでももらっていくか。

こんな貧しい家に金目のものなんかありゃせんがな。

うん、あの茶釜、五両にはならんが貰っていくとするか。

まあ喜蔵さ。そりゃご先祖様の大切なものじゃで、やめてちょう。

 お玉が泣きわめいて茶釜にしがみつくのを振り切って、喜蔵は市場屋へ帰っていきました。喜蔵から詳しい話を聞いた市場屋の主人四郎兵衛は、

そりゃちょっとやりすぎたなあ。

と、言っただけで深く気にもとめず店の売り金の勘定にいそがしかった。

 勘定をやっと終わって、店の者たちは、年越しのごちそうをいただくと、それぞれ自分たちの部屋へ行き寝ました。昼間の仕事の疲れで店の者はすぐぐっすり寝込んでしまいました。

 

 長い文章になるので、今回はここまで。その2につづく