名鉄瀬戸線沿いに平町公園がある。公園の建物の前に、石碑が2つあった。その一つが、この写真だ。濃尾地震に関係する碑なのだ。
最近地震のニュースが多い。震度6や5という数字が並ぶ。どうも地震が増えている。濃尾地震は、明治24年(1891年)におきた巨大地震だ。碑には『尾濃地大震地裂・・・』の文字が。岐阜県の本巣市にある根尾谷断層が動いた内陸直下型の地震だ。7千人以上の死者が出た巨大地震だ。
濃尾地震では、瀬戸でもほとんどの窯が壊れてしまった。登り窯が多かった瀬戸の窯は耐震性はなかった。また、多くのため池も堤防が被害を受けた。渇水の心配があり、今村にも多くあるため池の堤防の国費や今村のお金が使われ修復を記念した石碑のようだ。根尾谷の活断層は、学生時代に見に行った覚えがあるが自分の心の中では過去の出来事であった。
三河地震が昭和20年(1945年)1月にあった。1000人以上の方がなくなったが、戦時中ということで発表されなかった。三河湾が震源だった。
関東大震災を始めとして大きな地震の記憶がある。しかし、濃尾地震や三河地震など知らなかった。いつどこで起きても不思議がない地震だ。この石碑がなければ多分誰も思い出さないだろう。未来に伝えていくことって難しい。
大きなこの公園の中に碑があった。だが、気づく人は果たして何人いるだろう。