setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

瀬戸第一尋常小学校(陶原小学校)その3

 陶原小学校の校舎の位置は銀杏木にあったと『その2』で書いてしまったが、正しくないようだ。

 明治6年に宝泉寺で陶原学校として生まれ、明治25年に瀬戸尋常小学校明治36年に瀬戸第一尋常小学校明治42年に瀬戸尋常高等小学校、昭和14年に陶原尋常高等小学校、昭和16年陶原国民学校、昭和22年陶原小学校と何度も名前が変わっている。義務教育の期間も、郡立、町立、市立なども変わっている。

 安藤政二郎氏の瀬戸ところどころ今昔物語によると、陶原小学校は、宝泉寺で発足したが、明治17年に蔵所(現在の瀬戸蔵)に新しい校舎に移転、数年後瀬戸尋常小学校になる。小学校令改正改正で、尋常小学校(六年制)は高等小学校(二年制)と並置されることになり、明治41年に瀬戸川沿い(現在の愛陶工)の位置新しい校舎をつくり移転。しかし、大正14年の大洪水で校舎の一部を流された。昭和5年熊野町に、昭和44年に原山町に移転した。

 銀杏木にあったのは春日井郡立第三高等小学校(瀬戸高等小学校)で、その後、十三塚・京町に移転した。明治41年に瀬戸尋常小学校・尋常高等小学校として瀬戸川沿いで一緒の校舎で学ぶようになる。

 明治生まれの男性はもう一人もいなくなった。写真の陶原小学校に通っていた方はまだまだ元気だ。話を聞きに行こう。