setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言341 中馬街道はどこを通っていたんだろう?

 鶴里町誌をざっと見た限りでは、中馬街道は三郷から西に進む旧瀬戸街道が記されていた。 

 自分は三郷から南西にそれて行く自分の考えとは違った道筋だ。自分勝手に思い込んでいることに気づいて不安になった。頭の中が???状態。もっと勉強しなければ。

 図書館に行き、いろいろな郷土史を研究されている方の文章を読んだ。色々な説があることはわかったが、やはり自分は???興味だけで浅い知識しかないのだ。瀬戸街道、旧瀬戸街道、古瀬戸街道、中馬街道、名古屋道、やまが道などなどいろいろな名前が出てくる。全宝寺から陣屋・追分に抜ける道が古い道だが、粘土が掘られるようになると印所(いんぞ)街道がその代わりをする。その後、品野と瀬戸を結ぶ今の国道363が中馬街道と呼ばれたようだ。

 時代とともにコースが変化している。明治期になってからの道、戦後の道など時代背景で街道筋が違っているようだ。鶴里町誌は県道として古い道を改修してできた大曽根瀬戸間を結ぶ瀬戸街道(旧瀬戸街道)を中馬街道としているんだろう。同じ時期に品野の新道もできている。

 自分が住んでいる瀬戸の西部には、今村の川西嶋があり、中馬街道の馬宿があった。さらに根之鼻と呼ばれる坂道を通って尾張旭の三郷辺りを南西方面にそれていくイトーヨーカドーの駐車場を横切る道がある。この道も古い道だ。そのまま進んでいくと稲葉町、そして矢田川沿いにお寺(少林寺)がある。自分は中馬街道のコースだと勝手に思い込んでいた。

 もっと勉強します。少なくとも家の近くは歩いて調べるのも面白そうだ。しかし台風と梅雨前線が。