男社会、侍精神が前面に出ている端午の節句。昔は男は男でも長男が一番とされた。瀬戸も昔から男社会だったんだろう。飾りは派手な地域だと思う。ところが瀬戸の一部の地域には鯉のぼりをあげない。深川小学校出身の知り合いも確かに見たことがないと言っていた。瀬戸の昔話には次のような話がある。
5月には、男の子が強く、たくましく育つようにという願いをこめた端午の節句があります。だから、昔から男の子がいる家では、のぼりを立てたり、武者人形を座敷にかざったり、お餅をついたりしてお祝いをします。しかし、深川神社のそばの宮脇町あたりでは、不思議に五月の節句になってものぼりを立てる家はありません。それには、こんなわけがあるからです。
400年ほど前(1600年ごろ)、豊臣方と徳川方の軍勢が長久手村でいくさをしました。このいくさでは、はげしくやりで腹を刺されたり、刀で背中を切られたりして、両方の侍がたくさん命を失いました。負けた豊臣方の一人の侍が、傷つきながらも逃げてきました。その侍の体はやりや刀の傷で血だらけで、よろいは破れ、傷ついた足を引きずり、つるの切れた弓をつえにして、ようやく一軒の農家の前までたどり着きました。
そこは、ちょうど瀬戸の宮脇あたりでした。侍は、百姓の家の戸をドンドンドンドン、ドンドンドンドンとたたき、
「おたのみ申す。何か食べものをくだされ。腹がへって倒れそうじゃ。」
戸を開けた百姓は、血だらけで、髪の毛をふり乱し、ギラギラと光るするどい目つきの侍が立っていたので、思わず震えあがってしまいました。
百姓は、とっさに考えました。
「鯉のぼり その3に続く