setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

㉚グーグルマップのタイムラインが面白い

 新しくスマホを買い替えて気付いた。知らぬ間に。自分の行動がバレバレであったことだ。変なところへ行こうものなら、すぐバレてしまう。

 グーグルマップのタイムラインは、ドライブしたコースをしっかりと記録してくれていた。4月末からこのサービスが始まったのかな?それ以前は記録がない。

 ちょうど美濃33観音巡りを始めたた時だ。このブログで記事を書き始めたのが5月28日。自分が通ったコースに、ピッタリあっている。これをみると、如何に無駄なコースを走っていたかよくわかる。
 さらに最近、自分の撮った写真まで分かるようになっている。コースと写真をみながら、その時の記憶を思い出そうとしている。あわせてストリートビューを使うと訪れた場所の雰囲気がよく思い出せる。

 あと何年かすると、グーグルが記事を書いてくれるかもしれない。(それでは意味がないのか)

 進化することはその内容を理解しないといけないのだ。進化のシッポにいつまでしがみ付いていけるのか、もうアップアップだけど。

⑮美濃33観音巡り(6月8日)その3

 大智寺を西に向かい、県道59号線(寺尾千本桜街道)を右折、東海環状道路の高架下を過ぎ大きな右カーブをこえすぐT字路を左折国道256号線で右折、岐阜レトロミュージアム方面へ。

 店の前まで来てやっと思い出した。昭和レトロのものがいっぱいあるということで話題になり早速やってきたところだ。高校時代に友人と連れ立ってこっそりとパチンコをやっていた。あのころのチューリップが開く手打ちのパチンコ台が目的だった。今やお客の姿はない。維持するのが大変だろうなと思いながら通り過ぎた。

 左手に椎倉山弘誓寺の名前が書かれた石塔がある。山に入る道があり思い切って登った。小さな工場がありそれより奥は車で行けないと判断、Uターンし入り口の空き地に駐車。観音堂はすぐだろうと思い、山道をとぼとぼと登り始める。登るなと言わんばかりに小さな虫が邪魔をする。観音堂につくと、前に駐車用のスペースがあった。余計に疲れが増した。例のごとくこれも修行だと自分に言い聞かせた。

 

美濃33観音 弘誓寺

 20番札所 椎倉山 弘誓寺(ぐせいじ)は聖徳太子作といわれる秘仏聖観音菩薩を本尊とした臨済宗妙心寺派のお寺だ。

 観音堂に「般若心経」が貼ってあり、唱えながらお参りをする。義母の月命日に毎回和尚さんの声に合わせ声を出している。でもどういうわけか読めない。自分はふりがなしか読んでいなかった事実に気付く。読めない漢字が多い。なさけない。

 寺務所は石段下だ。長い長い石段を休みながら寺務所に行く。

 

長いのなんのって

 寺務所には、住職がおられ世間話をする。昭和28年生まれとのこと、一つしか違わない。でも若々しい。長い長い写真の石段をしょっちゅう上り下りして修行しているからだと勝手に納得する。

 

 帰りは国道256号線を南下岐阜市から大垣方面に向かい、三菱岐阜南店で充電した。

㉙記事が100になったぞ

 観音巡りやドライブのことを記録として残そうと始めたこの記事は、2ヶ月で100個目となった。観音巡りは、尾張美濃合わせて57の寺院へ行くことができ、ほぼ記事も書けた。
 年寄の戯言は、自分のグチを文字にし始め、どういうわけか一番多い記事となった。結局グチりたいのであろう。ネコの記事は、しゃべられないネコの気持ちを想像すると、彼らに代わって話したくなる。
 いつの間にか、100記事目に。

 反省しなければいけないこと、書きたいため書くことが優先して、目次もなく記事が整理されていなく、ブログとしては読みづらいと思う。自分でも見直そうとするが、面倒くさくなっていく。ゴミ屋敷になるのはこういうことだろう。いつの間にかたまってしまう。もっと勉強すれば分かりやすくなると頭では考えていたが、結局やり方が分からない。学習するより記事づくりが優先になっている。
 こんな年寄のブロクを許してくれているはてなブロクを運営している方々に感謝あるのみ。ありがとう。

㉘自分の親たちの世代は、世界を舞台にしていた

 前回マンシュウって知ってますか?の記事を書いた。自分の父親が満洲国で、満鉄の機関士をしていたこと。戦後子供たちに何も話さなかったことなどを書いた。55年ぶりの同窓会についても書いた。
 その同窓会で再開したN君が確か親御さんが満洲にいたと言っていたことを思い出し、連絡をとった。
 彼の両親もやはり満洲からの引き揚げ者で、悲惨な体験をしてきたようだ。自分の親たちとの違いは、N君の父親は、体験したことを人生をかけて全て子供たちに伝えていた。
 幸か不幸かそれを聞きながら育った。N君は、、頭がよく努力家であったため学者になる道に進んだ。統計学の本を何冊も書かれている。彼はホームページに、親御さんたちの生活をまとめていた。
 自分の母親は帰国が昭和21年9月だ。戦争が終わって1年以上もどうしていたのだろう。その疑問もN君のまとめたもので解り始めた。

 内容はあまりにも自分には重すぎた。いい加減な気持ちで日記(ブログ)なるものを始めた。与太話で始め与太話で終えようと思っていた。この後、どういう方向性を持たせて良いのか迷ってしまった。とりあえずもっと勉強をしようと思う。
 
 

⑭美濃美濃33観音巡り(6月8日)その2

 道の駅武芸川で充電を終え、川沿いを南下。大智寺は、側道に入るように右折。左手にきれいな水が流れる。

美濃33観音 25番札所 大智寺
 雲黄山 大智寺 臨済宗妙心寺派の寺院で釈迦牟尼仏を本尊としている。美濃33観音巡りの事務局をしている。大智寺は、新緑のもみじがきれいだった。

 駐車場に車を入れたときすでに先客がいた。いつものことだと考えていた。その参拝者は、自分よりだいぶ若い女性で、山門に入るときていねいに手を合わせ頭を下げた。
 映画の一場面をみている感じがして、シャッターを切ってしまった。このお寺は広く新緑が素晴らしい。新緑を背景にした彼女の所作があまりにも自然すぎた。
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モミジの新緑が素敵だった(このお寺は大ヒノキが有名だ)
<本堂でのお参りを済ませ、左にてある観音堂へ行く。すると先程の女性が真剣にお参りしていた。正座をしながら納経印を押す姿も美しい。
 世間話をしながら、勝手に写真を撮ったことをわびた。これが若い二人なら面白いが、現実はそうにはいかない。

 大智寺はその素敵な女性とセットになって自分の心に残った。

 このお寺を出て、県道59号線で北上。ロマンスの神様ならぬなってタイガースの銀河のロマンスを口ずさみながら、PHEVで弘誓寺に向かう。まだ電池は残っている。

㉗マンシュウって知っていますか?

 先日、テレビの夕方の番組でマンシュウって知っていますか?とインタビューしていた。誰も知らない。質問を続けるうちにあっ知っていますという人が現れてきた。
 答えは刈谷市にある食べ物屋の商品名だった。
 この番組を構成した人は、何にも知らない若者世代なんだなと思った。きっと満州と答えた人も一人や二人はいたはずだ。食べ物にしか結びつけようとしない番組制作者は、80年前、日本が戦争に突入していたことはどうでもいいことと判断したと思う。
 勝てると思って始めた戦争は、この時期はもう敗戦に向けてつき進んでいた。
 もうすぐ終戦記念日だ。満州で多くの民間人が取り残され死んだ。多くの残留孤児をもうみだした。ロシアが日本と同じ様なことをしている。
 マンシュウって知っていますか?答えは餃子に似た刈谷の名物で~す。
 そのお店が悪いのではない。
 ニュースを中心につくられている番組で、デリカシーの無い内容を流すこのマスコミが悪すぎるのである。

 ひと月前の話だ。思い出すと、クソっ!と思う。酒がまずくなる。

⑬美濃33観音巡り(6月8日)その1

 この日は、岐阜県の武芸川(むげがわ)周辺のお寺をまわった。国道155号線を西に、22号線を北上して岐阜市に入る。
 岐阜北の三菱で。充電した。ここは、北上する場合はいいが、反対車線から入ろうとすると、難儀だ。今回は折角南から来たので入った。自分の車は、電池が中途半端に残っていると、同じ時間でも充電量が少ない気がする。
 5番札所 永昌寺が最初の目的地。武芸川は関市になる。

美濃33観音 5番札所 永昌寺 
 景久山 永昌寺(けいきゅうざん えいしょうじ) 本尊を十一面観世音菩薩とする臨済宗妙心寺派の寺院だ。


 
 山門前で大きなお地蔵様が迎えてくださった。本堂は比較的新しい。下の駐車場の辺りから山を背景にした永昌寺はとても美しい。

 武芸川は、長良川の支流だ。濃尾平野扇状地と山との境になる。水が湧くのだろう。武芸川に入る小さな川が多い。6番札所恵利寺は、武芸川をはさんで永昌寺の反対側にある。

美濃33観音 6番札所 恵利寺
 
6番札所 尾崎山 恵利寺 ここも臨済宗妙心寺派で十一面観音菩薩を本尊としている。


 本堂でお参りし、山門脇の寺務所に。若い住職に対応してもらえた。花は奥様がいけているそうだ。素敵な生け花だ。

 次は25番札所大智寺だが、近くに武芸川の道の駅がある。予定を変え、充電と昼食をと思い先に寄った。建替え中で充電器の位置がわかりづらい。周りを歩くと出口に蜘蛛の巣が張りまくった充電器が。ケチな自分にはこの選択はありえないが、関の三菱まで往復すると考えると・・・。30分500円もするが仕方がない。昼食もがまん。