setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

㉘自分の親たちの世代は、世界を舞台にしていた

 前回マンシュウって知ってますか?の記事を書いた。自分の父親が満洲国で、満鉄の機関士をしていたこと。戦後子供たちに何も話さなかったことなどを書いた。55年ぶりの同窓会についても書いた。
 その同窓会で再開したN君が確か親御さんが満洲にいたと言っていたことを思い出し、連絡をとった。
 彼の両親もやはり満洲からの引き揚げ者で、悲惨な体験をしてきたようだ。自分の親たちとの違いは、N君の父親は、体験したことを人生をかけて全て子供たちに伝えていた。
 幸か不幸かそれを聞きながら育った。N君は、、頭がよく努力家であったため学者になる道に進んだ。統計学の本を何冊も書かれている。彼はホームページに、親御さんたちの生活をまとめていた。
 自分の母親は帰国が昭和21年9月だ。戦争が終わって1年以上もどうしていたのだろう。その疑問もN君のまとめたもので解り始めた。

 内容はあまりにも自分には重すぎた。いい加減な気持ちで日記(ブログ)なるものを始めた。与太話で始め与太話で終えようと思っていた。この後、どういう方向性を持たせて良いのか迷ってしまった。とりあえずもっと勉強をしようと思う。