setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

シルバーピジョン

 ダイハツラビットといえばお医者さんが乗って往診するスクーター。今日、見たのはシルバーピジョン、かすかな記憶はある。記憶があるのはスタイルだ。名前は完全に記憶がない。

 実物を目の前にしながら、撮影。小学校の頃のスクーターだ。自分の勝手な解釈だと、あの頃、オートバイはハンドルの左側のレバーでクラッチを切りチェンジする。スクーターは、オートでチェンジする。ハンドルの右左のレバーはブレーキだ。自転車と同じだ。持ち主の彼は、嬉しそうに教えてくれた。えっ?そんなに昔からCVTがあったんだ。

 三菱自動車の昭和30年ころの製品だろう。自分と同じ頃生まれた。

 ペーターの文字が。ネットで調べると、なんと愛好家がけっこうまだ存在している。いつまでも夢を持って昭和の製品を大事にしてくれている。

年寄りの戯言261 白鷺ではありません

 瀬戸川沿いに歩いていると、白い鳥がいる。川岸まで降りて早速撮影。すぐ横には、コガモたちとカワウが。カワウはあまり好きではない。魚を食べ尽くすからだ。

 白い鳥の体は、カワウと変わらない。大きいのだ。魚を捕まえて食べる瞬間が残念ながら撮れなかった。瀬戸川に魚がいることは確認できた。カワウは名古屋の堀川に集まっている。こちらには帰ってこないくれと思いつつ、このカワウを睨んでやった。

 白鷺より大きなこの鳥は、ダイサギと呼ばれる。嘴(くちばし)が白鷺は黒くダイサギは黄色いので見分けられる。一般的に白鷺のいう名前は通称で、コサギのことを指すことが多い。

 調べてみると、ダイサギもカワウも同じペリカン目に属するとある。同じ仲間なんだ。知らなんだ。

 川沿いを歩くと、梅が満開だ。歩くことも楽しい。

 

年寄りの戯言260 ここでも年寄りが頑張っていた

 ドライブ途中に、車関係の町工場があると、その駐車場を見てしまう。先日も信号待ちで、ある町工場を見てみると何といすゞ・ベレットが置いてある。雨ざらしなので当然乗れる状態ではない。60年もたった車なのだ。

 いすゞベレットは、1963年から10年ほどつくられた。写真のベレットは1600ccスポーツの2ドアセダン、1968年製か?

 撮影の許可をもらいに事務所に向かうと、年配の方だ出て見えた。自分よりチョット上か?と勝手に思う。同じ昭和生まれで自動車好き、知らない者同士でも自然に話が弾む。小1時間も話しただろうか。元は名古屋のいすゞに努めていたこともあり、117クーペなども置いてあったとのこと。

    いすゞは戦後イギリス車をヒルマンミンクスという名前でOEM生産していた。そんなことも関係するのだろうか、駐車場の片隅には車名はわからないがイギリスの古いローバーが置いてあった。

 いすゞははディーゼルエンジンが得意で、彼は乗用車作りを始めたころのいすゞベレルにも乗っていたようだ。今から考えるとガラガラとうるさくとても長く乗れる車ではなかったと楽しそうに話していた。

 古い車は集めるつもりはなく、所有していたいだけ。昭和の良き時代の車が好きなんだろう。またレストアして儲けるつもりもないようだ。117クーペもフロンテクーペもあったが手放したとのこと。どうもスバル360SSは手元に残しているようだ。きっとまた手入れをして楽しみたいような口ぶりだった。

 コンピュータの制御の入る前の車は、技術さえあればなおすことができる。彼ならスバル360を蘇らし、嬉しそうに乗り回すだろう。青春時代に戻ることができる大切な一台なんだ。

 そしてここでも年寄りが頑張っていた。負けていられない。

 

 記事を書いている最中、3ラン。大谷さん、本当に天才だ。若い頃のパワー、欲しいな。今は、エサがないと動かない。歳はとりたくないね。

 

年寄りの戯言259 スズキ フロンテクーペ?

 この車、覚えているだろうか?ある町工場で、とんでもなくめずらしい車があることに気づいた。リアエンジン、色もこの赤が多かった。

 スズキの軽自動車だ。フロンテクーペだとか思ったが違っていた。フロンテクーペの後継車のセルボだった。似て非なるもの車だ。これは排ガス規制で非力になった狼の皮を被った羊だった。フロンテクーペは360cc、後継車のこのセルボは550ccになり車体をやや大きくした。37馬力あったのが28馬力と非力となってしまった。

 1970年代は多くの軽自動車が活躍していた。各社馬力競争をしていた。リッター100馬力は当たり前だった。ダイハツはフェローMax三菱はミニカスキッパー、ホンダは水中メガネとも称されたホンダZなど憧れの車が生産されていた。ホンダ以外はほとんど2サイクルエンジン。2サイクルエンジンはガソリンとオイルの混合気を燃やすので排ガス規制をクリアできず消えていった。

 フロンテクーペは、車高が1200mmと非常に低い。幅は1300mmもない。セルボになって100mm幅が増えた。地面を這うような軽自動車だった。ヘッドライトがセルボになって、角目から丸めになったのが大きな違い。

 自分が高校生の頃まで、16歳から軽自動車なら乗れる軽限定の免許があった。いつまであったのか覚えていないが、先輩は高校時代からN360に乗っていた。当然助手席には彼女がいた。1300mmない車幅だったのでギアチェンジをしながら彼女の右手に触れていたんだろう。

 

年寄りの戯言258 うるう月

 先日、日めくりを見て妻が大騒ぎした。日めくりは最近使われなく知らない人もいるようだが、けっこう便利なのだ。毎日一枚づつ切り取っていく。旧暦が書いてある。その旧暦を見て玄関に飾る物を換える。今回はお雛様を片付ける日を決めるためだ。

 「この日めくり、間違っている。」と騒ぎ始めたのだ。3月21日の春分の日が旧暦の2月30日になる。ところが明くる日の22日からまた再び旧暦の2月が始まっている。2023年はなんと旧暦の2月は2回もあるのだ。4月19日が旧暦の2月29日となってやっと旧暦の2月が終わる。

 旧暦では2回めの2月を閏月(うるうづき)とよび、旧暦の閏2月◯日となる。旧暦など自分もほとんどわからないが、月を中心につくられた太陰暦のことだ。太陽を中心に作られた太陽暦とは当然ずれていている。

 閏年(うるうどし)は、よく知られている。オリンピックのある年に、2月が1日多い。オリンピックのある年で子供の頃は覚えたのだ。太陽もきっかり365日で回っているわけではない。4年に一回1日増やして調整しているのだ。

3月6日(旧暦の2月15日)に撮った満月

 旧暦では、何と3年に一回、月を増やして太陽暦に合わせているのだ。70にしてまた勉強できた。妻が騒がなければ死ぬまで知らずにいただろう。感謝あるのみ。

年寄りの戯言257 勉強しようよ(パソコン教室)

 ブログを書きながら、どうまとめて良いのかわからない。あるパソコン教室に教えを請おうと入校した。簡単に内容を紹介しようと思う。あくまでも数回しか受講していない新米の感想だ。

 

  

 50分が一単位で1100円、他に教室維持費1400円/月、機器使用量300円/回となる。週1で行くと月7000円、週2で行くと12600円だ。

 授業内容は、初めはワードの入門講座。Eラーニングの一項目10分程度の動画画面を見て学ぶ。それを3〜5項目ほど見て、確認テストをする。ブラインドタッチができるようにタイプ練習も講座の前に組み込まれているので50分では一単元が終わらない。その間喋ることは殆ど無い。苦痛だ。

 第1単元は基本操作、第2単元は書体や段落書式設定、第3単元は用紙インデント均等割付など、第4単元は表の追加、第5単元はイラストの追加だ。そして6単元が図形の追加。この単元を終了させるためには、3枚のイラスト入りのチラシ作り。こんなの一太郎だったら10分でできると思いながら、指示に従う。

 その後インターネットの入門で数時間。Eラーニングだから早回しはできても、多分途中を跳ばすことはできない。これも数時間。ホームページ作りでも入門編からやることになるだろう。ジンドゥーの無料ソフトを使うようだ。

 自己流にパソコンをかまってきた自分だ。基本をもう一度一から確認させてもらえると思えばいいのだ。だが時間とお金がどれだけかかるのだろう。ケチな自分は心が晴れない。あ〜あっ!

 H3ロケットの2段めのロケットの点火ができず破壊された。そんなLive中継を見ていたので余計に気持ちが落ち込む。将棋の藤井さんは名人に一歩近づいた。

年寄りの戯言256 宗教って

 この1年、観音巡りをしてきた。尾張33観音や美濃33観音巡りだ。宗教心が全く無く観音巡りをしていると自分の心の中に矛盾が出てくる。お賽銭をおさめながらお願いを唱える。全く信仰心はないので、とても不謹慎な気がしてしまう。

 この年代になると、周りで友人から病気になったとか、亡くなったとかいろいろな情報が入ってくる。いよいよ考えなければならないことが増えてくるんだろう。連れ合いが病気になったら、認知になったらどうしよう。暗い話題が増えてきた。

 今日話題になったのは、不謹慎だが葬儀やお墓を、どうしたらいいの?難しい話題、そして重たい話題だ。自分は70歳になった。年寄り同士の会話だ。自分ならどうする、どうして欲しい、子どもたちと話したが結論は出ない等など。重たい。

 人が亡くなることって、亡くなっていく人ではなく残される人がその人の死をどう考えるのかが一番大きいと感じた。宗教にすがりつきたいと考えなければ耐えられない世界がある。

 最近のニュースにエホバの問題が取り上げられてきた。また統一教会の問題も何も解決していない。創価学会もそうだが布教が第一番に入ってくる。あの手この手で心の隙間に入ってきたのが宗教だが、全てを否定できない。自分も義母の月命日には般若心経や修証義を唱える。

 矛盾だらけなのだ。金儲けが絡むとさすがに看過できなくなる。自分の母親が結婚し子育てに入った戦後、新興宗教が。心の隙間に入り込んだ。自分の母親もR友会に誘われて入った。母親にしてみれば一番苦しい時代だったんだろう。心の隙間を埋められないがために何かに執着したくなる。

 宗教って何だろうか。多分永遠の課題かもしれない。でも宗教が金儲けの手段にはなってほしくはない。