setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言256 宗教って

 この1年、観音巡りをしてきた。尾張33観音や美濃33観音巡りだ。宗教心が全く無く観音巡りをしていると自分の心の中に矛盾が出てくる。お賽銭をおさめながらお願いを唱える。全く信仰心はないので、とても不謹慎な気がしてしまう。

 この年代になると、周りで友人から病気になったとか、亡くなったとかいろいろな情報が入ってくる。いよいよ考えなければならないことが増えてくるんだろう。連れ合いが病気になったら、認知になったらどうしよう。暗い話題が増えてきた。

 今日話題になったのは、不謹慎だが葬儀やお墓を、どうしたらいいの?難しい話題、そして重たい話題だ。自分は70歳になった。年寄り同士の会話だ。自分ならどうする、どうして欲しい、子どもたちと話したが結論は出ない等など。重たい。

 人が亡くなることって、亡くなっていく人ではなく残される人がその人の死をどう考えるのかが一番大きいと感じた。宗教にすがりつきたいと考えなければ耐えられない世界がある。

 最近のニュースにエホバの問題が取り上げられてきた。また統一教会の問題も何も解決していない。創価学会もそうだが布教が第一番に入ってくる。あの手この手で心の隙間に入ってきたのが宗教だが、全てを否定できない。自分も義母の月命日には般若心経や修証義を唱える。

 矛盾だらけなのだ。金儲けが絡むとさすがに看過できなくなる。自分の母親が結婚し子育てに入った戦後、新興宗教が。心の隙間に入り込んだ。自分の母親もR友会に誘われて入った。母親にしてみれば一番苦しい時代だったんだろう。心の隙間を埋められないがために何かに執着したくなる。

 宗教って何だろうか。多分永遠の課題かもしれない。でも宗教が金儲けの手段にはなってほしくはない。