昭和の20から30年代初め、経済が急成長し、電化製品がどんどん出始めた。三種の神器だ。
白黒テレビ
小学校2年生の時に我が家に入ったテレビ。白黒であいまいな画像ながら、必死になってみた。画面は14・5インチくらい。4m離れてみなさいと言われて狭い我が家、部屋の一番すみで見ていた。頭のいい子は読書のしすぎで、自分みたいなアンポンはテレビの見過ぎで目が悪くなる。仮性近視と呼ばれる言葉が新聞に登場した。
ぼやけた画像なのに、当時の国民は熱中した。父親は野球・プロレス、子どもは月光仮面や隠密剣士、赤銅鈴之助だ。ナショナルキッドが松下電器の宣伝で放映される。主題歌にもナショナルの言葉が入ってくる。商魂たくましい松下幸之助。ナショナルという言葉が国民に定着する。アメリカドラマのスーパーマンは、太平透さんの吹き替えの声が印象的だった。
この小さな画面で、多くの人が楽しめた。悲劇も起きたこともあった。力道山の頭からの出血だ。ブラッシーに噛まれたのだ。顔は真っ赤に染まっている。血がピューッピューッと飛び散りリング上が血だらけだ。白黒なのに真っ赤な血が見える。年を取った女性が亡くなった。心臓マヒやショック死という言葉が出てきたのはこの頃だろう。想像力と妄想力がマンガだけでなくテレビで、より育ったんだろう。
電源やチャンネルは回転式でよく外れた。電源を入れるとブーンと音がして画像が出てくるまで時間がかかった。画像が安定しないとチャンネルを少しだけ回してみる。すると画像が落ち着く。