setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

鯉のぼり その3

「もし、この侍を助けたら、あとで私たちが敵の侍にどんな仕返しをされるかわからない」と思い、
「食べるようなものは、何もありゃせん。」
と、どなり返しました。すると、侍は刀をぬいて家の中へ入ろうとしたので、
「出ていけっ。おーい、ぬすっとだあ。ぬすっとだあ。」
と、大声でまわりの家々にふれ回りました。
時は、ちょうど五月の節句の前、のぼりを立てるために用意してあった竹を持って、近くの人たちが走り出てきました。そうして、侍を追って行き、竹でたたいたり、突き刺したりして、とうとう殺してしまいました。
 それからというものは、この宮前あたりでは、五月の節句にのぼりを立てると、立てた家の子どもが、次々に死んでしまうという不幸が続きました。これは、きっとのぼり竿で殺された侍のたたりだということになり、それからは節句にのぼりを立てる家がなくなったということです。

 その後、村人たちは死んだ侍のためにお墓をつくり、花などをそなえてお参りをしているそうです。

 宮脇町とは、深川神社の東、深川小学校周辺になり北新谷の東側。江戸時代は何本かの大型の登り窯があり天候の良い5月は炎がきっと上がっていた。明治以降石炭窯ができ、煙突が林立した。最盛期は煤で空が真っ黒になり、「瀬戸には小さなカラスがいる」とか「洗濯物は外には干せない」など、空が黒いほど儲かっていると喜ばれた。そんな中で鯉のぼりはあげられなかったんだろう。

 時代は変わったはずだ。今でも律儀に400年前のしきたりを守っているんだろうか。20・21日の土日は陶祖まつりだ。深川神社周辺に鯉のぼりが泳いでいるのか。楽しみだ。