動員学徒という名前で子供たちが戦争に巻き込まれた。一般的には学徒動員というのだろうが、何が違うのかはわからない。豊川(とよかわ)は海軍工廠ができて大きくなった。豊橋はもともと軍の連隊が駐留し軍都として発展してきた。しかし、昭和27年生まれの自分は、市電が中心街を走っていてのんびりとしたのどかな都市としかとらえてこなかった。豊川にできた海軍工廠が東洋で一番大きな工場だとは知らずに半世紀以上も生きてきた。
豊橋から豊川の海軍工廠に多くの若者が動員されて、8月7日の大空襲で亡くなっている。現在の豊橋東(61人)、時習館(37人)、豊橋商業(37人)、豊橋工科高校(42人)、豊橋中央(23人)、私立藤ノ花(24人)、私立桜ヶ丘(35人)など。豊橋の旧制中学や高等女学校などの子供たちなのだ。
今回改めて驚いたのは、国民学校の高等科の12歳からの子供たちも亡くなっている。国民学校の初等科(6歳~6年間)を卒業すると、国民学校高等科(12歳~2年間)や旧制中学や女学校、実業学校に進むか、直接、就職するかの時代。自分の父親は初等科を出て菓子屋に住み込みで働いていたと聞いている。いわゆる丁稚奉公なんだろう。戦前の男の平均身長が160cmくらいだ。12歳の頃の自分を思い出すと身体が小さかったため学生服が歩いているとよく言われた。そんな子どもたちが兵器づくりをしていた。
地元の豊川の国民学校の高等科からも動員されていた。
上は沖縄戦でよく見かける写真だ。沖縄では島民の4人に一人方が亡くなった。その中には多くの子供もいたのだろう。豊川でも多くの子供たちが亡くなっている。
国民学校の12・3歳の子供が動員されそして犠牲になっている。戦争を知らない自分たち以降の人には考えられないことだ。