setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

79年前、昨日3月10日は東京大空襲の日だったが、今日11日は瀬戸でも空襲があった

 瀬戸の御亭山(おちんやま)の忠魂碑を見ながら、戦争について考えた。

 3月10日は東京大空襲があった。死者は11.5万人にもなる。すでに何回も何回も空襲を受け、79年前の今日3月10日に最大の空襲があったのだ。


 名古屋の空襲は3月12日に、B29爆撃機200機による爆撃で519人が、19日には826人が、5月14日には338人の死者が出た。この日に名古屋城が焼失した。6月9日には熱田に空襲があり学徒動員の人を含む2068人もの多くの方が命を落とした。8月7日には豊川の海軍工廠への大空襲があり学徒動員の高校生たちも含め2500人以上の方が亡くなった。

 我が瀬戸は、1944年5月10日に本地で、1945年2月13日に共栄橋の西側の田端町で、3月11日から12日にかけては新開地で、5月17日に本地・菱野地区に爆弾が落とされている。特に3月11〜12日の新開地で大きな被害が出ている田端町は自分の住む街の隣の町だ。町内の先輩の中に爆撃の跡を見に行ったという方が見えた。

 新開地の空襲は有名だから知っていた。我が家の近くでも爆弾が落ちたとは聞いていたが場所までは確認していなかった。他は正直知らなかった。サガミさんから左手が田端町だ。田端町のどこに落ちたのか調べていきたい。

 

 3.11といえば、13年前の東日本大震災だ。79年前の瀬戸市では新開地の空襲があったのも3.11だ。