setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言357 瀬戸市で過去におきた水害①

 豊橋や豊川(とよかわ)での水害はよそ事ではない。自分の住んでいる瀬戸でも過去大きな水害があったのだ。

 歴史に残っている最大の水害は、大正14年(1925年)8月に瀬戸駅前辺りで氾濫した瀬戸川の被害だ。谷間にできた瀬戸の市街地を通る瀬戸川は、上流で降った豪雨がいっきにほとんどの木造の橋を流していった。

 大正14年の大水害である。瀬戸駅の西側の川沿いにあった瀬戸尋常高等小学校(陶原小学校)の北校舎、小使いさんの部屋(今の用務員さん)、便所が流されてしまう。瀬戸川に流れ込んでいる陣屋川の岸も崩れている。

 現在自分が住んでいるのは、昔、今村と呼ばれていた。今村では、今の市役所西の新大橋(丸山橋)あたりで岸が決壊し下流の今村は大水害に見舞われる。昭和9年七夕の日の大雨では吉田橋だけを残して下流の全ての橋が流される。

 2つの大水害で瀬戸の西から今村・旭村にかけて壊滅的な被害を受け、橋の整備と道路の新設が急がれ、今の瀬戸街道のもとになる八間道路と呼ばれた広い道路がつくられれる。幅が15mもある広い道だ。舗装されていないこの道は、中央部分しか使われなかったものの瀬戸の重要な産業道路、瀬戸街道となっていく。

 過去にあった災害を頭の中に常に入れておきたい。ヒョットかするとを考えなければならない。しかも、緊急避難場所って、どうやって行くの?の疑問符がつく。

 写真は、『瀬戸・尾張旭の昭和』から転載させてもらいました。

 豊橋・豊川の今回の水害で考えた。