自分には子どもの頃から、夢想癖があった。
我が家にテレビが入ったのは小2の時だ。力道山や長嶋が活躍した頃だ。四ツ谷怪談の番組があり、怖くてたまらなかった。あの時流れていた笛(尺八?)のメロディーは今でも思い出す。丸い白黒のブラウン管の画面の中で、力道山がブラッシーに噛まれ血マルケになった。それを見ていたおばあさんがショック死する出来事があった。みんな想像力が豊かなのだ。
漫画雑誌が好きで、貸本屋に行って借りた。本誌は10円で、付録は5円だった。自分は付録しか借りられなかった。鉄腕アトムや鉄人28号、ゼロ戦レッド、紫電改のタカも大好きだった。早く続きが見たいと、お手伝いをして小遣いをためた。学校では漫画をまねて俺のほうが上手いと互いに見せ合った。
スーパージェッターが腕時計(?)に、たしか「流星号応答せよ!」と言っていた。今のスマートウォッチだ。ドラえもんが好きな友人は、藤子不二雄さんの描いた夢を地域の子どもたちに熱弁していると聞く。ドラえもんの道具のいくつかは実現している。
戦後経済から、高度経済成長に入るときだ。姉や兄は戦後の苦労を知っているが、自分は苦労よりもほとんど未来がどうなるのか考えることが多かった。
昭和20年代後半生まれの自分たちは漫画を見て、大人になることが楽しみになった世代だと思う。