setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言199 お囲い堤ロード

 江南から川沿いの道に入ったら、『お囲い堤ロード』なる文字が。岐阜の道を走ると、花にちなんだ名前がいろいろな道につけられている。ヤマボウシ街道や薄墨街道などだ。何となくロードだと面白みがない。やはり歴史のある道は街道でありたい。

 御囲堤で調べると、徳川家康が絡んでいるようだ。氾濫の多い木曽川から尾張藩を守るために命じて造らせた堤防だ。犬山から弥富までの50kmも連続に続く長い堤防だ。その上の道(県道182号線里小牧北方江南線)が走っているのだ。

グーグルマップより

 一宮の木曽三川公園138タワーに行くときに通った道だ。この木曽川から伊勢湾にかけてのこの地域は、長良川揖斐川の3つの川が流れていて、網の目のようにつながっていた。今の名古屋の熱田区、港区から西の沿岸部は埋め立てによって造られた土地だ。いまでも0m地帯が存在する。江戸時代初めは、東海道は、熱田まで陸路だったが、ここからは渡し船三重県側まで渡らなければならなかった。木曽三川によって陸路を造ることができなかった。徳川御三家である尾張藩は西側からは自然によって守られている地域だった。しかし木曽川の氾濫に襲われることが少なくない土地でもあった。そこで名古屋の北から西側に堤防で守ることによって大都市づくりができた。その堤防の上に造られた道がお囲い堤ロードだ

 

 地図は長良川河口堰管理所のホームページからコピーさせてもらった。木曽三川下流域は水との戦いであった。今は分流されてはいるが、堤防道路を走ると、3つの川の水面の高さが違っていることが分かる。

 木曽三川公園をただの公園ではなく、水害の地において、多くの人たちが戦ってきた歴史のある公園だと思わないといけないのだろう。