setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯れ言210 60年前の豊橋にワープその3

 住吉町の我が家は、借家だった。満州から全財産を失った状態で逃げてきた両親は、この長屋で30年暮らし3人の子供

を育てた。大家さんはとても優しい方で家賃も多分安かったんだろう。父親は金儲けは余り得意ではなかった。満州鉄道の運転手だったので、国鉄への再就職ができたのだろうが、向こうでの思い出は良いものではなかったらしい。満州のことは喋ろうとはしなかった。オフクロが1番苦労をしたんだろう。

 住吉町から老松町にかけてのこの1画は大屋さんを囲むように長屋が建ち並んでいる。我が家のあった長屋は今では一軒の家に変わっている。東隣のN子ちゃんちは三軒長屋だった。住んでいる人は当然変わっているが、当時の様子はそのまま残っている。

 この周辺を歩きながら、子どもの頃の面影を探した。貸本屋のアカヤさん、ここで借りた少年漫画が自分の妄想癖の原点だ。床屋さんにキリスト教会などがあり、友人のM君、T夫君、Nさんがこの近くに住んでいた。西に来ると鍛冶屋のともさん、1歳下のアキボウ・有名人になった末君、同学年のY仲君、O谷さん。隣の家にはN子ちゃんがいた。

 表通りを渡ると、道沿いに乾物屋だったと思うがI子さんが住んでいた。運動が得意のスーパーガールだった。その隣の文房具屋だった鈴木さん、更に隣のシキシマパンの大森さん、酒や醤油をツケ(帳面)で売ってくれた朝倉さん。書き出したら数えきれない。駄菓子屋の小林さんは、大きな存在だったが、もう影も形も無かった。狭い路地に入るとN君が。なつかしい面々だ。

信号機を渡った路地を行くと陸軍墓地

 自分は思い出に浸っているつもりはない。過去への探索は、面白い謎探しでもあるし、豊橋は、ドライブにはちょうどいい位置でもある。ワクワクする。今後小学校区だけでなく、中学校時代の友人とも連絡をとって探索範囲を拡げられると面白い。