あいトピアの一本東側の路地から電車通り方面を眺めると、真正面に臨済寺が見える。自分の両親の墓があるお寺だ。びっくりしたのは道と山門そして本堂が一直線になっていることだ。この道はきっと臨済寺の昔の参道なのかもしれない。
東雲商店街の入口に、昔、宝屋と呼ばれていた本屋があった。お正月のお年玉を持っていつ店が始まるか何日間も我慢した思い出がある。結局3学期が始まってからやっと店が開いた。20大付録の少年月刊誌が欲しくて日参したのだ。電車通り沿いには松月堂という洋菓子屋があり、今も看板の文字は残っていたが、店はやっているんだろうか。
東雲通には市電の車庫があり、100mほど線路が引き込まれていた。市電が撤去されるとバスの車庫になり、今はスギ薬局になっている。この近くにN夫くんの家があった。市電は赤岩口に車庫が移り、途中から運動公園方面の新ルートも新たにできた。おでん列車なるものもあり人気がある。飲み放題と言うからうらやましい。
東雲通で食事にありつけると思ったが喫茶店もなければコンビニすらなかった。自分が子供時代お世話になった銭湯の千代の湯もいつの間にかなくなっていた。10年ほど前は経営していたと思ったが、今は影も形もなかった。時代の流れだ。寂しく思った。そのまま東へひたすら空腹のまま歩く。
途中足が痛かったので公園で休憩。この一角は昔の遊郭だ。かなり広い面積をしめていた。軍都豊橋で兵隊がたくさんいた。軍関係で2万人にも及んだと言われる。公園のベンチに座りながら、もと遊郭だったと思われる建物が確認できる。
もっと東にK君の家があったはずだ。何度も遊びに行ったはずだが、分からなかった。
車の止めてある運動公園のすぐ横のカレー屋でカキフライカレーなるものを食べる。カレーは美味しかったが、時間帯が遅かったのでカキフライが今いち。多分二度あげしたんだろう。仕方がない。3時過ぎに美味しいカキフライを期待した自分が悪い。
キビキビと働いている若者の姿が眺められた。自分にもこんな時期があったんだと思うと頑張ってくれよと心で応援した。
地図内のハートマークが主な歩いたコースとなる。星マークは散策した場所だ。見えづらいが青い下線を引いた地名がある。臨済寺前と北臨済寺だ。臨済寺前は昔の我が家のすぐ裏手だ。北臨済寺は東雲通りの千代の湯があった場所だ。どちらも西郷町にある臨済寺とは場所も離れているし方角も違う。臨済寺前という言葉すら知っている人はいなかった。なぞが残った。面白い。