setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言228 家康と一向一揆

特別展の入り口に一向一揆の様子が人形で再現されていた

 安城市歴史博物館に行った。『家康と一向一揆』の特別展が開かれていたからだ。歴史は学生時代に正直あまり勉強しなかった。最近、友人が信長や家康の話をする。映画や大河ドラマで岐阜や岡崎が話題になっているからだ。愛知県という地元に住んでいて最低の知識だけは付けておきたいからだ。

 安城市のこの特別展は史料も多く展示され専門性が高い内容ばかり。自分には難しすぎたが、へえ〜そうなんだと理解できたことも少しはあった。

 親鸞が開祖の浄土真宗、戦国時代のはじめに蓮如(れんにょ)が加賀・近江・そしてこの三河の地で布教し、強い勢力を持っていた。蓮如は特に加賀の国では一大勢力を持っていて当時の大名に対し対等の力を保持していた。大名から過度の年貢要求されると団結して一揆を起こした。『南無阿弥陀仏』を唱えれば極楽浄土にいけるという教え(一向専念無量寿仏)から一向宗の信徒たちの一揆として一向一揆と言われるようだ。

 今川義元の死後、三河に帰ってきた若き家康が、1番頭を悩ませたのだろう。武士が相手なら考え方が理解できるが、死をも恐れぬ信徒たち(中には家康の部下もいた)を相手に手こずったのだろう。平定するのに半年以上もかかってしまう。

 信長も天下を取るために、一向宗との戦い(長島一向一揆)で3度も戦ったという。ということは2度も負けているのだ。その後の延暦寺の焼き討ちをして女子供老人全てを焼き殺している。民衆の反乱はよほど怖かったのだろう。後に刀狩りやキリシタンの取締などをして民衆を力を奪っていく。

 この特別展の会場では撮影が禁止だった。たくさんの史料と解説、全て読むことは不可能だし理解できる頭脳もない。ここまでまとめるのには学芸員さんたちは大変だったのだろう。難しい内容かもしれないが、関心のある方はぜひのぞいて欲しい。3月19日までの開催だ。

 暗い中で文字ばかりを追いかけていたので、疲れてしまった。博物館の外には多くの木がある。メジロがいた。カメラを向け撮影に。こっちのほうが自分にはあっている。

 このあと一向一揆の舞台の一つである本證寺へ。