setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

パノラマカー②

 岡崎の子ども美術館で名鉄本線で活躍した懐かしいパノラマカーの企画展を見てきた。名鉄は、尾張を中心に走っていた名古屋電気鉄道と三河を中心に走っていた愛知電気鉄道とが合併して昭和10年に設立された。

 

 大正時代までは名古屋の市電は名古屋電気鉄道が運営していたようだ。この時代大量輸送は陸は鉄道や海は船に頼っていた。そのためいろいろな会社がつくられた。瀬戸も重い陶磁器を運ぶために瀬戸自動鉄道がつくられた。大小様々な会社ができたが合併吸収をしながら最終的に名古屋鉄道名鉄)にまとまった。

 

伊良湖までは行ってなかったが、名前は『いらこ』

 しかし尾張三河の鉄道は基本的に架線の出力電圧の違いがあり、交互の乗り入れができなかった。それは戦後になって初めて実現できた。豊橋から名古屋を通って岐阜・犬山方面まで行けるようになる。犬山は日本ライン明治村、モンキーパークなど一大観光地だ。団塊の世代の子どもたちは電車に乗って犬山や南知多、蒲郡渥美半島などの観光地を訪れた。


 新しい車両が開発された。昭和36年パノラマカーが走り始めた。『どけよ〜どけよ〜どいてよ〜』とミュージックホーンを鳴らせながら豊橋駅に入ってくる。豊橋を出ると伊那駅当たりまではゆっくりとホーンを鳴らしながら走り、やがて時速110kmまで速度を上げる。赤く塗られた真新しい美しい車体だ。

 

 トヨタ自動車が大企業になる前は、愛知県において名鉄が1番の企業だったんだろう。バブルがはじけ観光産業は陰りを見せたのとは対称的に、大衆車を売り出したトヨタは輸出で儲け大会社になった。自動車社会の今の愛知県では皮肉なことに鉄道よりもマイカーで移動する。