setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言329 上品野蟹川遺跡

 今日(5月13日)は、しなの工房めぐりがある。同時に品野では、上品野で蟹川遺跡の中間報告が有るという情報を得て、工房めぐりの様子を見つつ上品野に行った。

 自分も昨日の新聞で知ったばかり。なのに本当に多くの方が見学に来ていたことに驚かされた。多分70名は越えていたんだろうと思う。実際の蟹川とは離れていた。蟹川は小学校の近くを水野川に流れ込んでいる川だから、ここは200mほど東に当たるんだろう。ということは遺跡の範囲が広いということだ。

 写真は戦国時代の遺跡になるになる。どうも桑下城と品野城に関連している。不思議なことにすぐ隣の西側の遺跡は平安・鎌倉時代の遺跡になるという。遺跡から出土したものから断定できるようだ。

 遺跡発掘現場の見学後、桑下城の跡地へ。登っていくと開けた場所から名古屋の高層ビルが見える。名古屋城も見えるんだろうが分からなかった。この地理的ポジションを押さえることは、西から来る敵の軍勢をいち早く見つけることができ、優位になる。同様に全宝寺からも西がよく見えた。

 桑下・品野は松平の三河勢力下、全宝寺(阿弥陀ヶ峰のとりで)は今村の松原、織田の尾張勢力下だ。品野は尾張三河との戦いの最前線になる。戦争は優位なポジションの取り合いなのだ。桑下城、品野城は最前線につくられた城だった。

 御朱印までもらえた。