setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言328 世界一が二つもあった陶町大川

 中馬街道を飯田方面にドライブ、といっても国道363号線だ。曽木を過ぎると、国道149号線との分岐点になる。瑞浪市陶(すえ)町のこの交差点には、『世界一の美濃焼こま犬』がある。

 昔から気になってはいたものの見学したことはない。せっかく中馬街道を調べるのだから、今日の見学の第1番としてこま犬のお顔を観させてもらった。高さが3.3mもあるのだ。説明を見ると平成2年に15トンもの粘土を使い制作された世界一のこま犬だ。我が家の玄関には5cmの小さなこま犬がいるが、ここのこま犬の鼻の穴より小さいようだ。

 近くに6連房の登り窯が有るので歩いて行く。陶 与左衛門窯(すえ よざえもんがま)だ。ここの窯は今でも実際に使われている。1年に1回9月に市民の方々の協力を得て焼成されている。コロナ禍中で昨年はできなかったようだ。薪を用意するだけでも大変だ。地域の協力がなければできないはず。

 夜見る窯の火は美しい。30年ほど前、赤津の陶芸家鈴木八郎先生の穴窯の焼成の様子をビデオ撮影に行ったことがある。青白い炎が闇夜の中で勢いよく吹き出ていた。言葉では到底説明できない。ここの窯はまだ生きている。実際にまだ使っているのだ。

 陶町にはまだ大きな焼き物があった。世界一大きな茶壺だ。『豊穣の壺』高さ5.4mもの、直径4mもあるのだ。32トンもの粘土が使われ、一体成型。一万束の薪を使って300時間もの時間をかけて焼成された。こんな大きなものを焼くためにレンガで巨大な窯(倒炎式薪窯)をわざわざ造ったんだろう。

 この地域は瑞浪市陶町大川という。4代目羽柴与左衛門景度(初代は加藤左衛門景信)が古窯大川窯をかまえて名品を残したようだ。瀬戸は狭い地域で焼き物作りをした。自分は瀬戸しか知らなかった。美濃ものどかな土地で瀬戸と同じように焼き物を造ってきたのだ。

 水上、猿爪地域も焼き物が盛んだ。中馬街道沿いは多くの窯焼きがいたのだ。中馬街道はハナノキ街道とも呼ばれているが、焼き物でつながる焼き物街道でもあるのだ。