setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言432 昭和58年9.28豪雨災害 美濃加茂市

 この水害は、美濃加茂市坂祝町などで甚大な被害を出したようだ。美濃加茂市では軒下まで水が浸かったようだ。昭和58年ということは1983年。ちょうど40年前だ。昭和58年9月28日豪雨災害と呼ばれる。

 知人が美濃加茂に住んでいるので、今日、災害の状況や災害の痕跡を教えてもらいにかつての被災地に行ってきた。知人の家は川沿いにあったものの幸い被災地より高い位置にあり直接的な被害はなかったようだ。知人の奥さん(自分の妻の子供の頃からの友人)いわく、橋の上から柄杓(ひしゃく)で水がすくえそうだったと言っていた。この橋のスレスレまで水位が上がっていた。しかしそれは水害の始まりであったようだ。9月28日のまだ明るい時間帯の話なのだ。災害は、この日の夜に。

 写真の橋は太田橋、撮影場所はこの場所から13km下流の犬山まで船で冒険する日本八景木曽川ライン下りの始発場所だ。その昔は(太田橋ができるまで)、この場所から対岸まで渡し船があったという。太田の渡しだ。昔の中山道渡し船で対岸に渡り東に向かう街道だったんだ。

 当日この橋桁スレスレに水位が上がる、普段は水面から橋まで13m近くはあるだろう(標高で調べると橋は約70m、川べりが57mとある)。

 被災地は美濃太田と呼ばれる中山道の太田宿の周辺なのだ。知人の家は太田橋近くにあり、西に向かうと土地が低くなっていく。彼の家から50mほどの西から被害が出始める。

 直接地元の方に聞き現地をみることは、当時の災害を理解しやすい。自分が理解できた範囲でまとめてみたい。