setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言455 昭和58年9.28豪雨災害 泥との闘い

 美濃加茂に過去の水害被害について調べに行った。昭和58年9.28豪雨災害だ。美濃加茂を中心に坂祝町(あのパジェロの会社があった町だ)など被害があった地を見たかったのだ。先月美濃加茂の知人に連れて行ってもらった場所をゆっくりと歩いてみた。太田宿が被害の中心だ。太田宿の中山道会館を見て、木曽川沿いに中山道を歩く。

 

 今回一番印象に残ったのは、この日最後に訪れた木曽川沿いに建つ祐泉寺の住職の言葉だ。『泥との闘いだった』との一言。あまり思い出したくなかったんだろうが、本堂に上げてくれて話を伺うことができた。口は重たい。水害にあったことは?と聞かれた。当事者でないと気持ちはわからんと言われそうだった。『泥との闘いだった』『水が引いた跡に残るものは泥、その泥はホコリのようにこびりつき、乾いた後は舞い上がる。』『拭いても拭いてもその白い泥はいつまでも残る』と、9月に被災して年が明けても後片付けをしていたようだ。何十畳もある広い本堂だ。

 柱には浸水した位置を記した印があった。本堂だから当然高く造られている。数日前、千葉県水害の様子がニュースの映像を思い出した。畳の上に泥(表現が悪いがネチャネチャの泥)が残り、畳は水を含んでだめになる。墓石は全て水流で倒れてしまった。檀家さんの助けもあるだろうが、檀家さんの多くも被害を受けている。住職さんがいまだに思い出したくなかったんだろう。そんな過去のいやな気持ちを思い起こさせてしまった。でもさすがお寺の住職だ。教えてもらえた。

 祐泉寺は、美濃33観音巡りの27番札所。坂祝の21番札所宝積寺。両寺とも美濃33観音巡りで昨年5月17日に回った。臨済宗妙心寺派のお寺だ。坂祝も被害が大きかった。宝積寺ももう一度行って話を聞いてみたい。