setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

昭和58年9.28豪雨災害 太田宿②

 太田の宿を西に歩く。林家の文字があり入ってみた。240年ほど前に建てられた家で江戸時代、脇本陣だった。今でも住居として使用されているとのこと。入り口に御婦人が見えて話を聞けた。殿様が泊まるということで敷地は高めに造ってあるが、壁にかけられているはしごの上まで水が来たとのこと。

 

 この板の間は特別な作りになっていたことに驚かされた。水が入ってくると板が浮かび上がるとのこと。重要なものは2階に運べばいいが運べないものも多くある。この板の間に運び込んだそうだ。木曽三川の輪中と共通するものがある。経験による知恵だ。

 御代櫻の酒蔵を横目に西に中山道会館を過ぎるとのこの建物があった。

 軒の上方に白い矢印がある。ここまで水が着いた印だそうだ。近寄って手を伸ばしても全く届きそうもない位置に印はあった。2.5mはゆうに超えていそうだ。この辺りから西にかけて最も水が着いたようだ。

 このあたりは標高63m、美濃太田駅は68m、太田宿の東の入り口が67mだ。南は木曽川の堤防だ。北側からそして東側から水が集まってくる。豪雨災害の始まりだった。