昭和58年9.28豪雨災害を調べていて、美濃加茂の知人から店の前のマンホールから水が吹き上がったと聞いたのがこの場所だ。国道21号線と41号線が交差する加茂川町1の交差点だ。40年前と違って店はコンビニになり、国道41号線は高架ではなく平面の交差点だったんだろう。交差点名にあるように加茂川沿いだ。知人は加茂川の水が木曽川に流れ込めず木曽川から逆流したと言っていた。
この豪雨災害は美濃加茂市民文化ミュージアムに展示されている。美濃加茂の水害史がまとめられていた。美濃加茂は水害の被害を何度も受けていることがわかった。残念だが館内の展示してある場所が分かりづらい。二階の奥まった場所だ。自分は2度めの見学だがほとんど見学者はいない。だがこの日は若いご夫婦が2人の子度を連れて見学に来ていた。加茂川は気をつけないといけない。内水氾濫が起こりやすいと説明されていた。関心を持って見学している方がいることがうれしかった。
自分は昭和58年ばかり調べていた。だが昭和43年8月17日に美濃加茂でも水害があったが、18日未明にとんでもない災害がこの近くで起きていた。美濃加茂で木曽川は飛騨川と合流している。その飛騨川の上流の飛水峡で名古屋の16台のバスのうち7台が国道沿いで運行不能となり2台が被災する事故があった。自分は記憶にはあるが内容はあまり記憶していない。1968年といえば55年前になる。簡単に言うと観光バスが国道41号線で2台のバスが土砂崩れにあい激流の飛騨川に流され、104名の人が亡くなった『飛騨川バス転落事故』だ。
上流のダムを止めて飛騨川の水位を下げながら転落したバスや人を捜すが、2台目のバスが見つかったのは8月22日だ。遺体の一部は明くる日の19日には伊勢湾まで流され発見されている。最後の遺体が見つかったのは1年後だった。
日本で最大のバス事故『飛騨川バス転落事故』は美濃加茂と同じ豪雨による事故だった。