setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言459 瀬戸人でないとわからんこと その1

 自分が瀬戸に来た頃、職場の先輩から瀬戸のことを教えてもらった。

 まず、ぞうきんだ。ぞうきんを食べるのだ。ホルモンでも自分の食生活の中には無かった。今はさすがにぞうきんと呼ぶ人はいないが、当時は当たり前に呼んでいた。見た目は古雑巾、ねずみ色した理由の分からない食べ物だ。

 慣れるまでは時間がかかったが、モヤシと一緒に焼くか、単独で焼くか、はたまた生で酢味噌で食べるか。食べ方は色々あった。たぶん瀬戸に関係しないと分からない食べ物だ。センマイと言うと分かる人が増える。生センは、O-157だと思うが、生レバーが禁止となるとともに世の中から消え去った。

 この時代、生ビールは大を注文。瀬戸人は焼肉は焼かなくても食べる。この肉は自分のものだと狙っていると、すぐ無くなる。くそ!と思いながらナマ大を注文する。三河人はのんびりしている。しかし尾張の人はせっかちなんだろう。勝てない。ツバをつけてこれ僕のと言ってもいつの間にか無くなっている。仕方なく匂いをさかなにしてビールを飲む。

 ホルモンも焼き方があり皮側から焼くと脂身がうまく残って香ばしくなる。焼けるのを待っていると焼けてないはずなのに誰かが手を出す。後は雪崩現象でなくなっていく。腹に入れば一緒だというのが瀬戸人である。未だに自分は瀬戸人に離れないのが残念だ。

 焼肉は大衆食だったが知らぬ間に高級食になってきた。