setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

瀬戸の三地蔵 (郷の佐吾八地蔵①)

 郷の佐吾八地蔵には、『文政9年(1826年)2月 施主伊藤佐吾八』と刻まれている。このお地蔵様を東に上ると伊藤伊平さんという有名な方の家がある。通りかかった方に聞くとその方とは関係なく、今は加藤姓になっているが、親戚の方が近くに住んでみえると言う。

 安藤政二郎さんの書かれた『瀬戸ところどころ今昔物語』には、こんな話があった。

 佐吾八さんの家は、代々この地にあって、大きな竹藪に囲まれていて、雀のお宿になっていた。佐吾八さんの子孫が名前に『新』の字がついたことから『郷の藪新』と呼ばれていた。

 さて、佐吾八地蔵は、子供の夜泣きを止めてもらえる。弱い子供を丈夫にしてもらえるというので、ずいぶん遠くからの参詣者があった。

 ところが明治35・6年頃、この付近で熱病が流行したので、占ってみると地蔵さんを粗末にしている祟りだという。早速調べてみると、元は屋敷つづきの藪の中に祀ってあったものを、郷の新墓に移してあることが判った。そこで付近の人の手で連れ戻し、現在の地に祀られている。

 安藤氏は、明智光秀とも関係するという。長くなるので、次の記事で。

 グーグルのストリートビューの画像は北向き(中橋方面)になる東側の路地に城見山 弘法大師の看板がある。川藤製陶さんの手前の辻に津島さんと一緒に祀られている。